結果のスコアだけを見れば、一方的な展開にしか思えない。だが、内容を振り返れば、そこまでの力の差は感じられない。ほんのわずかな違いが勝負のあやとなって、両チームの明暗を分けた。第95回全国高校サッカー選手権大会の決勝戦。5―0の大差がついた試合は、まさにそのような一戦だった。

選手権出場は20年連続22回目の青森山田(青森県)と、3年連続20回目の前橋育英(群馬県)。誰もが知る高校サッカー界の名門だ。しかし、高校サッカー界で最も権威の高いとされる冬の選手権では、ともに準優勝こそあるものの優勝したことはない。その意味で注目の一戦となった。

戦前の予想では、青森山田を優位とみる声が高かった。本年度は全国高校総体で4強入り。さらにJクラブの下部組織も参加するプレミアリーグ東地区で初優勝。高円宮杯U―18チャンピオンシップでも西地区を制した広島ユースを撃破して、高校年代最高峰の大会でチャンピオンに輝いた。これは高体連所属のチームとしては史上2チーム目の快挙だ。一方、前橋育英は全国高校総体の群馬県予選でまさかの初戦敗退。選手権を前にした両チームの歩みは対照的だった。

ところが、決勝戦の立ち上がりに両チームが見せた勢いは予想に反するものだった。青森山田がより強く優勝を意識したのか硬さの目立ったのに対し、前橋育英は伸び伸びとしたプレーを見せて、主導権を握った。

開始わずか5分、右CKから人見大地と田部井悠が迎えた2度の決定機。さらに、前半15分には高沢颯がGKと1対1となった。そのビッグチャンスのいずれかを決めていれば結果が変わった可能性は大きい。とはいえ、内容で相手を上回っていても決めるところを決めなければ流れは相手に移っていく。それは勝負の常だ。

立ち上がりのピンチをしのぎ続けた青森山田。彼らが引き寄せたのは流れに加えて、運だった。前半23分、右サイドの嵯峨理久が放ったクロスが初めてのチャンスを生む。高橋壱晟が放った左足でのハーフボレーのシュートに、GK月田啓は反応していた。にもかかわらず、直前にDFが出した足に当たってコースが変わりネットを揺らすこととなった。

準決勝までの5試合を無失点。堅守を誇ったチームが初失点を喫すると、崩れることがよくある。この日の前橋育英がそれだった。ただし、チームの戦い方そのものが崩れたわけではない。先制点を奪われたあとも、ビッグチャンスを作り続けた。その意味で内容は互角だ。違いがあるとしたら、青森山田がこの試合で見せた冷徹なまでのフィニッシュの正確性を、前橋育英が備えていなかったということだけだ。

一昔前と違って、近年の選手権に出場にするチームの選手は本当にボール扱いがうまくなった。その中で、徹底的に鍛えられているチームとそうでないチームを見分けるのはキックの正確性だ。センスが大きく関係するボール扱いと違い、キックはイメージだけでは身につかない。何本ボールを蹴ったかで精度は変わってくるのだ。

この試合で青森山田が奪った5得点。そのうちの4点が浮き球をボレーもしくはハーフボレーでたたいたシュートだった。インパクトのポイントを少しでも間違えば大きく上に浮く難しいキック。そのシュートを選手たちは、すべて教科書通り地面にたたきつけ、そしてコースを狙った。前半ロスタイムの嵯峨の倒れ込みながらの右足シュート。後半12分、14分の鳴海彰人の美しい2本の右足シュート。さらにボレーではないが、後半44分に見せた佐々木快のノーステップでの左足弾丸シュート。このすべての得点場面を見るだけで、青森山田というチームが、いかにサッカーの本質を押さえた練習を大切にしているかというのが垣間見えた。つまり、ボールを「止める」「蹴る」という基本だ。

世の中にはいろいろな種類のサッカーがある。そのどれもが間違いではない。プロの興行として見せるには、華やかさも大事になってくる。ただ、日本代表だけは違う。どの年代であれ、結果が最優先されると思う。その意味で、負けたら終わりの高校サッカーは参考になるのではないだろうか。

その一つの例が準決勝で対戦した青森山田の郷家友太、東海大仰星(大阪府)の面矢行斗、大東史明の見せたロングスローだろう。文字通りの「飛び道具」が、各年代の日本代表にあればかなりの武器になるはずだ。

要は勝ち抜くための武器を、いかに数多く持つか。トーナメントを熟知する高校の指導者が、負けが許されない戦いに対して繰り出す戦略。その有効性は高校生でもプロでも変わらない気がするのだが。

それにしても青森県のチームが選手権で優勝するなんて夢のようだ。約40年前、本州の最北端に位置するこの地でボールを蹴っていた少年には想像もできなかったことだ。いまはオジサンになってしまったが、いいお年玉をもらえた。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。