御利益の差はわずかなのだろうが、今年の初詣に関しては鹿島神宮のほうが川崎大師より少しだけ大きいのかもしれない。延長戦にもつれ込みながらも、J1鹿島がJ1川崎を2―1で振り切った試合を見て、なんとなくそう思った。

同時に脳裏に浮かんだのは、1986年メキシコワールドカップ(W杯)で得点王に輝いたイングランド代表のゲーリー・リネカーの言葉だ。「フットボールは単純だ。22人がボールを奪い合い、最後はドイツが勝つスポーツ」という迷言にも近い名言。感覚的だが、妙に説得力がある。

これを日本に当てはめれば、「サッカーとは最後に鹿島が勝つスポーツ」ということになる。J1の年間優勝を争うチャンピオンシップ、クラブW杯、天皇杯。11月末から切れ間なく続いた試合で、鹿島はそれぐらいのインパクトを残す比類のない勝負強さを見せつけてくれた。

その鹿島がシーズン2冠目を懸けた天皇杯。三十数年ぶりに決勝戦をテレビで観戦した。試合会場が大阪の吹田スタジアムだったため、年末年始で混雑する新幹線を避けたのだ。暖かな室内は快適で、映像も想像以上に見やすい。スタジアムにあるカメラの設置角度がいいからだろう。そして、現場では難しい選手の表情も確認できる。Jリーガーのなかにはプレースタイルは認識しているが、顔がよくわからないという選手もたまにいるのだが、テレビ画面ではそれも問題はない。

それにしても緊迫感があった。決勝戦の試合の入り方は「これがタイトルを取るための」という両チームの意気込みがよく伝わってくるものだった。技術にこだわる川崎が、いつにも増して球際が激しい。だが、一つのボールに対する執着心という意味ではやはり、鹿島が一枚上だ。その中でも小笠原満男が見せる阿修羅(あしゅら)のようなプレーは、画面を通しても魂が伝わってきた。

ファーストコンタクトを激しく。これは試合を通じて相対する相手との精神的優位性をどちらが握るかが決まる大事な駆け引きだ。

クラブW杯の前身となるトヨタカップの1984年大会。この試合でリバプール(イングランド)と対戦したインデペンディエンテ(アルゼンチン)のDFが、キックオフ直後に相手に見舞ったタックルが強烈に印象に残っている。

現在のルールなら間違いなく一発退場だ。だが、いきなり人数の均衡を崩したくないので、主審はレッドカードを出す可能性は少ない。そう教えてくれたのは、インデペンディエンテの関係者だった。南米では当たり前の「あいさつ」なのだという。

考えてみれば、小笠原のプレーはまさに同じ意味を持っていたのではないだろうか。開始直後から川崎の心技両面での大黒柱となる中村憲剛にファウルぎりぎりの猛烈なチャージを繰り返した。そのプレーには川崎のポゼッションサッカーの起点つぶしという戦術的な要素もある。だが、それ以上に小笠原が中村に対して精神的優位に立つための駆け引きという意味合いが強いだろう。

小笠原はG大阪と対戦したときにも必ず、中心選手である遠藤保仁を同じようなプレーでつぶしにかかる。そしてほとんどの場合、1対1のデュエルで勝利を収めている。結果的に対戦相手のプレーメーカーが影響力を失えば、チームが機能しにくくなるのは自明の理だ。

そういう視点で考えると、小笠原はかなりの役者だ。前半19分、ファウルで倒された小笠原は中村が蹴ったボールが当たったことに激高した。試合後、「あれも、あえての部分もある」と語ったというが、普段感情を表さない人間がそのような行動に及ぶと周囲に与える影響は大きい。

鹿島の選手たちは「やらなければならない」と思うだろう。逆に川崎の選手たちは「怖いな」と感じるだろう。小笠原に詰め寄られた中村の表情を見ていたら、洗練された都会のちょいワルが昭和時代に存在した本物の番長にすごまれたようなおびえた表情に見えた。同じキャプテンでも、迫力と眼力は小笠原のほうが一枚上という感じだった。

決勝戦の試合内容を見れば、どちらが勝ってもおかしくない内容だった。お互いに決定機は十分にあった。要はそのチャンスを決めたか、決めないかの差。わずか1点がチャンピオンになる者と、そうでない者を分けている。そして、鹿島は19個目のタイトルを手にしたのに対し、悲願の初タイトルを目指した川崎は7度目となる2位に終わった。

鹿島の強さを「伝統の力」という人がいる。川崎が勝負どころであらわにする弱さを「経験のなさ」という人がいる。でも、そんな簡単に説明がつくものなのだろうか。サッカーに関わって40年以上たつが、いまだわからない。その奥深い球技の答え探しのための、新しい年が幕を開けた。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。