正直に言うと、J1鹿島がクラブワールドカップ(W杯)の決勝に進出するなどとは夢にも思っていなかった。それにしても、すごいことを成し遂げた。歴史的快挙だ。そして世界中のサッカーメディアが「アントラーズはジーコの精神の上に成り立ち、レオナルドやジョルジーニョが所属したチーム」と世界中に紹介している光景が目に浮かぶ。

試合内容こそ押されていたが、終わって見ればスコア上は3―0の快勝。サッカーのスコアというのは、その字面だけをうのみにできない。開始早々から鹿島はナシオナル・メデジン(コロンビア)の猛攻にさらされ、守勢に回った。特に開始20分過ぎに立て続けに訪れたピンチ。前半21分、22分、23分と3度の絶望的な状況のうち、どれか一つでもゴールネットを揺らしていたら、鹿島は大敗の可能性があった。ところが、現在の鹿島は太さ12センチのゴールポストをも味方につける強運を持っている。

日本勢に限らないのだが、他の地域の代表が欧州と南米という世界の2強の一角を崩して決勝に進出するのならば、南米のチームを下すしかチャンスはないと思っていた。欧州チャンピオンズリーグを制してクラブW杯に出場する欧州代表のチームは、どこも世界選抜だ。残念ながら、南米の代表でも勝つ可能性は限りなく低いだろう。

その南米のナシオナルを相手に、鹿島が試合の流れを大きく引き寄せたのが前半30分過ぎ。前半28分、鹿島のFKの場面に対しハンガリーのカサイ主審がこの大会で取り入れられているビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)、つまりビデオ判定を要求した。結果はベリオが西大伍をペナルティーエリア内で倒したことが判明。鹿島がPKを獲得した。これを土居聖真が左に冷静に決め貴重な先制点を奪った。前半33分のことだ。

試合中に主審が映像確認するためにプレーが止まるのは、慣れないせいもあって確かに違和感がある。ただ、このシステムはオランダリーグではすでに取り入れられている。それでも、国際サッカー連盟(FIFA)主催の大会でVARによる判定が下されたのはこの試合が初。1998年フランスW杯アジア予選における、史上唯一のVゴールでの出場権獲得も含め、日本のチームは「FIFA初」というものに不思議と縁がある。

守勢に追い込まれていたチームが、逆に先制点を挙げる。このような状況になると相手はさらに攻撃の圧力を強めてくる。そして、代表チームも含めて日本のチームというのはこのような押し込まれた状況をかなり苦手としている。リードしたまま逃げ切る、状況を保ったまま試合を終わらせることが誠に下手なのだ。それは結局、本当の強さを備えていないということにもつながるのだが。

そういう意味で、鹿島というチームはJリーグのなかでも特異だ。攻め込まれることに対しての精神的重圧と状況を、右から左へと受け流すことができる。守備の安定を第一に考えていながらも、チャンスになると思い切った攻撃を仕掛ける。その伝統は継続性が必ずしもない他チームに比べれば、鹿島というクラブが地道に築き上げてきた「何物にも代えがたき財産」だ。この試合に関しても、追加の2得点はあくまでもおまけ。1―0の時間を保ち続け、相手にゴールを許さなかったということに素晴らしい価値があった。

今回のクラブW杯やJ1の年間王者を争うチャンピオンシップなど、一発勝負において鹿島は無類の強さを発揮する。それは試合のなかでの強弱、時間のマネジメントがうまいのだろう。そして、今回の一連のシリーズで時間をつかさどる役割を見事に果たしているのが、ベテランGK曽ケ端準だ。

アフリカ代表のマメロディ・サンダウンズと対した準々決勝の前半に見せた三つのシュートストップ。一見、ビッグセーブにも思えるが「シュート自体それほどスピードがあったわけではない」という曽ケ端の言葉を聞けば、それは想定内ということ。普段の練習と同様のレベルのプレーで対処したことがわかる。そして、後半に2ゴールを奪っての快勝。マメロディの選手は、負けた感覚を持たないままに敗れ去ったはずだ。

それと比べれば、準決勝のナシオナル戦は難しかった。しかし、最後尾でチームを救う、真に価値のあるファインセーブを連発。活躍ぶりはこの試合のMVPに当たるマッチ・アワードに選出されたことでも証明された。

昨夜の試合を境に、世界中に鹿島の名が知られたはずだ。奇をてらうことはない。オーソドックスな戦い方を演じ、自分たちのスタイルはクラブW杯でも通用した。Jを代表する試合巧者に加算された新たな「世界」という経験。自信を得た来年の鹿島は、間違いなく強いはずだ。地球上のクラブの頂点を争ったファイナリスト。まさに日本サッカーの誇りだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。