松坂大輔投手は、来年がソフトバンクとの3年契約の最終年になる。

松坂が2015年から日本球界に復帰して1軍のマウンドに上がったのは今年10月2日、チームの最終戦だった楽天戦の一度だけ。

わずか1回を投げただけで3安打、4四死球、5失点。10年ぶりの日本のマウンドでの姿から「往年のすごみ」を感じることはできなかったばかりか、「引退」が目の前に現実のものとして現れたのだ。

松坂は「来年というより来春キャンプが勝負になる」と悲壮な決意を口にし、カリブ海プエルトリコで行われているウインターリーグでの実戦で復活への足がかりをつかもうとしている。

▽初登板で4回75球

12月3日の初登板は一回に2ランを浴びたが、4回を投げ1安打、2三振、6四球。昨年8月の右肩手術の回復具合もチェック項目で、なにより75球を投げられたことにほっとしたようだ。

13日の2度目の先発登板は5回を3安打、3三振、2四球、1失点と安定したものだった。

プエルトリコ入りする前に、米国東部にある自宅で肩をつくっていた。結果より自分の納得いく球を実戦でどれだけ多く投げられるかがポイントで、1カ月間のリーグ参加の目的でもあろう。

松坂は「かつてのような速球を投げるのが理想だが、それより今は140キロの球で緩急をつける投球が現実的だと思う」と、自らイメージチェンジを強調している。コントロールをいかに身につけるかが勝負となる。

▽破格の移籍金60億円

「松坂世代」と言われるように、松坂は時代のヒーローとして歩み続けた。甲子園を熱狂させた横浜高時代。1999年に西武入りしてからも8年間で1年を除き全て二桁勝利をマーク。150キロを超す速球と高速スライダーで打者をねじ伏せた。

07年にメジャーのレッドソックスに移籍したが、この時の移籍金が破格の60億円。当時としては日米球界に永遠に記憶される金額であった。

この“新人"の年俸は7億5000万円。1年目の15勝に続き2年目は18勝を挙げる期待通りの働きだった。

イチローや松井秀喜らも既に15億円ぐらいの年俸を得ていた。松坂のメジャー入りに際して、月一回のスポーツコラムを連載していた紙上で「カネで価値が決まる“米国流"が速度を上げて日本スポーツ界に押し寄せているのを実感する」と書いた記憶がある。

▽けがに泣く

レッドソックスでの3年目以降はけがに泣かされる。11年には右肘じん帯の移植手術を受けるなど、勝ち星は二桁に届くことはなく13、14年のメッツを最後にメジャーを去った。

西武での8年で108勝60敗、メジャー8年で56勝43敗。日米通算で2193イニング、2075奪三振。ずば抜けた数字ではないが、強烈なインパクトを与える投手である。本人には酷だが、高校時代から「投げ過ぎた」投手であり、その点が惜しまれて仕方ない。

▽筒香が武者修行

松坂と同じプエルトリコのウインターリーグに巨人の岡本和真らも参加している。来年3年目を迎える期待の内野手で、打撃はもとより外野守備にも挑戦すると言われている。松坂とは目的は違うが、いい経験の場を与えられていると思う。

中米などで行われているウインターリーグが注目されるようになったのはDeNAの筒香嘉智からである。

ちょうど1年前、国際試合「プレミアム12」を終えた筒香がカリブ海ドミニカ共和国でのウインターリーグに3週間参加した。

「体を休めるべきだ」という球団などの反対を押し切って、自らの意思で海を渡った。既に実績を残している主力選手のウインターリーグ参加は珍しいことだった。

▽動機づけ

筒香の今年の成績は44本塁打、110打点で打撃2冠を獲得した。

筒香のウインターリーグ参加は技術力向上というより、自らの野球に対する動機づけだったと言った方がいいだろう。

一昨年に訪れたドミニカで、子どもも大人も野球を心から楽しんでいる、その文化に触れたことから、どうしても実際にその地でプレーしたかったようで、自意識向上にプラスになったと想像できる。野球に取り組む姿勢が実にしっかりしている。

中日の山井大介、浅尾拓也らもそうで、ソフトバンクの柳田悠岐は11年オフにプエルトリコでプレーしている。

▽西武の野球留学

ウインターリーグではないが、選手をメジャー傘下のファームチームに送る野球留学を本格的にやったのが西武である。

球団を持って4年目の1982年に第1回留学を敢行。参加6選手の中にプロ2年目の秋山幸二前ソフトバンク監督もいた。大久保博元元楽天監督は86年に夏と秋にカリフォルニア州とアリゾナ州に行っている。

西武は95年まで毎年、提携球団に選手を送ることになるが、最初の留学生を送り出す時にこう厳しく言い渡している。

「教育リーグ参加に球団は3300万円をかけている。完成された選手に一歩でも近付こうとする学校だ。自分ができないことや弱点をさらけ出せ。それを(米国の)コーチに聞いて、積極的に行動に移し徹底的に直せ」

若手選手の教育制度が確立しているとは言い難い日本球界だけに、他国の文化に触れながら自分で考え、行動することは大いに意味があるだろう。

▽工藤も再生

工藤公康ソフトバンク監督も西武の現役時代に単身渡米している。入団3年目の84年7月からカリフォルニア州のファーム球団に2カ月間いた。工藤は楽天・松井裕樹のような大きなカーブが特長で高卒で即戦力となったが、この年はキャンプからスライダーを覚えたのが裏目に出て、そのカーブが曲がらなくなった。

20試合に登板する中で得意のカーブを取り戻した。「日本にいるとコーチがあれこれ触るから一人でやらせることが再生への近道だと思った」と、球団は説明した。

副産物もある。工藤は「米国ではチェンジアップでも全身を使って投げる。驚いたのが若手中心のファームも子持ちの選手がいて必死にメジャーを目指している。自分の中で野球に対する意識が変わった」と述懐しているが、もし野球留学がなければ、29年間の現役生活は送れなかったかもしれない。

この話を書くとき、自分の投球術を確立できない日本ハムの斎藤佑樹をいつも思う。自分を崖っぷちに置く勇気を持ってほしいと。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆