もし来年もJ1の年間優勝を争うチャンピオンシップが開催されたとする。そうなれば、おそらくレギュレーションがこのように変更されていただろう。

「1勝1敗の場合は、年間勝ち点が上位チームの勝ちとする」

昨年は年間勝ち点1位の広島が優勝。チャンピオンシップで大会方式の不備はそれほど目立つものではなかった。それでも、年間勝ち点で2位の浦和が3位のG大阪に敗れたことに納得しない声はあった。試合が延長戦で決着したからだ。

確かに浦和は一発勝負の準決勝をホームで戦うというアドバンテージは持っていた。ところが、Jリーグでは不思議なことに「ホームの利」というのが限りなく希薄だ。事実、今年行われたチャンピオンシップの全3試合でアウェーチームが勝利を収めている。今年の準決勝はそれが考慮されての延長戦なし。90分間で引き分けの場合、年間勝ち点で上位チームが勝利チームになると修正された。

今季、浦和は年間勝ち点74を挙げ1位となり、準決勝を勝ち上がった3位の鹿島と決勝を戦うことになった。ちなみに鹿島の勝ち点は浦和より15ポイント少ない59だ。

先月29日に鹿島スタジアムで行われた決勝第1戦に浦和は1―0の勝利。3日に決勝第2戦が行われた浦和のホーム、埼玉スタジアムには次のような横断幕が出されていた。

「Jリーグから俺たちのシャーレを取り戻せ」

シャーレとはJリーグ王者に授与される「優勝皿」を意味する。つまり、これはリーグ王者を最多勝ち点のチームとせずに年間勝ち点で上位の3チームによるチャンピオンシップという“不確定要素"を含むやり方で決めようとするJリーグに対する浦和サポーターからの抗議のメッセージだ。このシステムだと、年間最多勝ち点でも3位という最終結果もあり得るからだ。

決勝第2戦のキックオフから90分後、浦和サポーターが懸念していた不条理があぶり出される。1―2で敗れた浦和は2試合合計で1勝1敗、得失点でも2―2で鹿島と並んだ。にもかかわらず、アウェーゴール2倍のルールが適用されたため、3―4で敗れることになったのだ。

シーズン開幕前から決定されていたレギュレーションである以上、鹿島の優勝については文句をつけようがない。準決勝の川崎戦も含め、タイトルを懸けて戦うということがどういうことなのかを教えられた気がした。

一方でどこまでも気の毒なのは浦和だ。この状況で「リーグの準優勝だ」と言われても、受け入れるのは容易ではないだろう。

年間勝ち点1位のチームが有利になるように、Jリーグ側が練りに練ったレギュレーション。それもまったく機能しなかった。2試合を通じて勝敗が並んだ場合の勝敗のつけ方は以下の順番だ。(1)2試合の得失点(2)2試合のアウェーゴール数(3)年間勝ち点。この方式の場合、浦和が恩恵を受けるのは0―1で敗れた場合のみとなる。そもそも、リーグ戦の王者を一発勝負で決めることに無理があったのだ。

選択肢が多過ぎれば人間は逆に物事を決められない―。心理学にはそんなデータがあるそうだが、鹿島のやるべきことはそれとは反対に明確だった。1点目をアシストした遠藤康が「90分のなかで2点を取ればいいのであせりはなかった」というように鹿島の選手は自らのタスクを黙々とこなした。しかも、第2戦での1失点はダメージにはならない。結果的に、浦和の先制点は何の意味も持たなかったことになる。Jリーグ側は想定していたのだろうか。

次の言葉は優勝チームの選手から発せられただけに、チャンピオンシップという大会システムの価値をより的確に表しているだろう。鹿島の堅守を支えた昌子源の発言だ。

「浦和さんの肩を持つわけじゃないけど、僕らが浦和さんの立場だったら、それは文句もいいたくなる」「こういうチャンピオンの決め方というのは、僕的にはどうかなって思う」

Jリーグの村井満チェアマンは試合後に出したコメントで「全3試合で10万7120人が来場した」と興行面での成功を強調した。だが、それは「木を見て森を見ず」だ。リーグ戦とは勝ち点を積み上げる地道な作業。サポーターはその過程を目撃するために、毎回スタジアムに足を運んでいるのだ。

人々の注目度、盛り上がりは確かに大切だ。そして、Jリーグの首脳陣も日夜それを真剣に考えていることは理解できる。ただ、個人的に重要だと思うのは一時的に作為を施した興行面での盛り上がりよりも、Jリーグが持つタイトルの価値を高めることだ。その意味で、今回のチャンピオンシップはJ1王者の価値を著しく低下させたといえる。

50年後、現在のJリーグの首脳陣は誰一人この世にいないだろう。そのときにリーグ戦の重み、「勝ち点1」に費やされる労力を知る人物がJリーグの要職についていたなら、きっと50年前のリザルトを見て首をひねるだろう。「2016年のJリーグは、いったい何があったのだろう」と。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。