「オリジナル10」の名前が泣いている。それはJリーグ開幕から23年もの間、保ち続けてきたトップディビジョンから陥落したという理由ではない。さまざまな報道から垣間見える、J1で来季のJ2降格が決まった名古屋の問題。クラブの視線が、サッカーという「文化」を築き上げようと努力している関係者たちとは、どうも違う方向を向いているような気がしてならないのだ。

サポーターや選手には辛いことだろうが、来シーズンをJ2で戦わなければいけないという現実は、個人的にはあまり気にしてはいない。それは名古屋というクラブが100年後も続いていると信じたいからだ。

普通に考えればチームの成績というのは、浮き沈みがあって当たり前なのだ。常にトップに立っているのは、莫大(ばくだい)な資金力で常に新陳代謝を繰り返すスペイン1部リーグの強豪レアル・マドリードなど、数クラブだけ。世界でも、そんなチームは稀といえるだろう。

気休めに好例を挙げる。イングランドに目を移すと、現在フットボールリーグ・チャンピオンシップ(プレミアリーグの一つ下のカテゴリー)にはノッティンガム・フォレストやアストン・ビラの名が並ぶ。この両チームは、くしくも「トヨタカップ」に出場したチームだ。現在の欧州チャンピオンズリーグ(CL)の前身となる欧州チャンピオンズカップを制して、クラブ世界一を東京で争ったクラブ。その輝かしい黄金期を持つチームが、イングランドの実質2部リーグでプレーしている。そのことをサポーターは受け入れているのだ。

チームの競技力は必ずしも確実なものではない。それを考えたとき、どこに重きを置いてクラブを育てていかなければいけないのか。その答えは四半世紀前にすでに示されていた。誰でも知っている「地域に根差したクラブ」だ。だからこそJリーグの参加条件は、クラブの名称から企業名を外すことがあった。クラブが耳を傾ける声の主。それはどうしても資金を出すスポンサーになりがちだ。しかし、それ以上に「ホームタウン」の人々の小さな声をすくいあげていく。そうしなれれば100年後に、チームの成績に左右されずに愛され続けるクラブが成り立っていくことは不可能だと思われたからだ。

今月、Jリーグは法人を立ち上げて、ちょうど25周年を迎えた。この「社団法人日本プロサッカーリーグ」という団体が25年前に打ち上げた夢。それは当初、日本のスポーツ界では異端扱いをされた。しかし、現在となればプロ野球でも北海道や広島など同様の理念で、地域を巻き込む活動する団体が増えてきている。

1993年のJリーグ開幕から23年。J1川崎やJ2松本の本拠地に足を運べば、以前ならサッカーにはおよそ縁のなさそうな年齢を重ねた女性や制服姿の女子学生の姿を普通に目にすることができる。これらの風景の濃淡は、地域へのクラブの関わり方で明らかな差異が生まれているのも事実だ。

名古屋というクラブと地域との関わり方は希薄だと聞く。さらにその状況で、今年6月、名古屋はトヨタ自動車に完全子会社化された。ワンクッション増えた分だけ、親会社と地域の距離は遠くなった。そのなかで世界的企業に守られた親会社の人たちは、なぜ自クラブがJリーグの「オリジナル10」に参入できたかの経緯を完全に忘れてしまったのだろう。クラブ、チームの向こうに地域の人々の感情があることを見過ごしてしまった。

サポーターや選手たちの信頼の厚かったボスコ・ジュロブスキー監督を解任しての、トヨタ自動車主導の新監督人事。アーセン・ベンゲルに推薦を求めているという。確かにベンゲルは名古屋で2季指揮を執ったが、それも20年前の話だ。現場を無視した形で、現状を知らない人物にアドバイスを求めたら、選手も含めて関係者はどう思うだろう。

さらに新GMも元日本代表監督の岡田武史氏の推薦で、元横浜マリノスのチーム統括本部長を務めた下條佳明氏に決まりそうだ。この人選は岡田氏が名古屋の会長を兼ねるトヨタ自動車の豊田章男社長と懇意にしていたかららしいが、これもまた現場の声を無視したトップダウンだ。それを考えれば、名古屋というクラブは「Jの理念」に反して、昔ながらの悪しき企業チームへの道を後戻りしている。

23年の時間を費やして、名古屋はプロサッカークラブとしてのノウハウの蓄積をなにもできなかったのだろうか。このクラブには「オリジナル10」が持つ責任、Jリーグ百年構想という理念は関係ないのだろうか。

自分たちの仲間を信じないで、ベンゲルをはじめ岡田氏と、すぐにブランドに手を出す。投資額の規模こそ違うが、現場を無視して金に任せてすべてを解決しようとする隣の国のリーグと同じだ。嫌なにおいがする。しかし、選手、サポーター、扱うものが「心」を持っている限り、事はそう簡単に運ばないのだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。