日本ハム・大谷翔平の「二刀流」への批判がぴたりと止まった。

プロ4年目で初めて20本塁打するなど今季の大谷は打者としても成長を印象づけ出場試合数も増えたのだが、日本ハムが優勝を決めた9月28日の西武戦で見せた投手としてのすごさは強烈だった。

大谷はわずか1安打、15奪三振で完封。160キロ近い速球とスライダー、落ちる球で西武打線をきりきり舞いさせた。

この大谷の10勝目こそ、日本ハムが最大11・5ゲーム差を付けられていたソフトバンクを大逆転した原動力であり、象徴でもあった。

▽栗山監督の決断

メジャー行きを公言していた大谷を入団させ、類いまれな素質を持つ逸材を綿密な工程表を作成して投手と打者の二刀流を押し進めてきたのは栗山英樹監督だった。もともと気配りができる監督だが、球団内の“大谷批判"に丁寧に対応したのだと思う。

今回の4年ぶり7度目の優勝ではどうしても大谷中心になりがちだが、随所で見せた思い切った栗山采配というか、決断が優勝に結びついたのは間違いない。

▽4番に代打

主砲の中田翔が不振を極めると、代打を送ったりした。もちろん本人とじっくり話し合った上でのことは言うまでもない。

さらに象徴的だったのが抑え役の増井浩俊をシーズン途中に先発に転向させたこと。昨年39セーブの増井を8月4日のロッテ戦から先発に起用。以降6勝1敗の好成績を挙げた。

増井の不調が出発点だが、栗山監督は「俺の妄想を聞いてほしい。増井の持ついろんな球種を使える先発ではどうか」と吉井理人投手コーチに持ちかけたそうである。

▽国立大出身監督

栗山監督は1983年に東京学芸大からヤクルトに遊撃手としてドラフト外で入団した。実働7年で494試合に出場し336安打。現役引退後はスポーツキャスターとして活動し、白鴎大学の教授となりスポーツメディア論などを教えた。現在は休職中だとか。

2012年に日本ハムの監督に就任し、いきなり優勝した。以後6、3、2位の成績だった。このプロとして実績のない元選手を監督に起用した球団の狙いはどこにあったのだろうか。

▽球団方針にあった栗山監督

日本ハムは他球団に先駆けて「データをフルに使うやり方」と「球団経営での長期ビジョン」を基本に「チームづくりはフロント。監督は現場に徹する」という方針を貫いている。04年の東京ドームから札幌ドームに移ったあたりから大きな柱となっている。

こうしたメジャーに近いやり方の中から指導者経験のない栗山監督を選び、チームづくりを託したのである。監督自身もそのやり方に近い「野球観」を持っていると思う。

優勝した翌日のあるスポーツ紙に、栗山監督の手記が載っていた。私の目に飛び込んで来たのは「三原脩」と「貞観政要」だった。

栗山監督が敬愛してやまないのはミスタープロ野球の長嶋茂雄氏というのは知れ渡っている。「常にファンのために」動いた長嶋氏をお手本としていた。

▽勉強家

三原脩氏といえば、元日本ハムの球団社長も務めたが、それより地方球団の西鉄(現西武)を1956年から3年連続で巨人を破って日本一に導いた知将として有名だ。なにより、自由奔放な発想で選手の長所を生かしたことでも知られる。

当時の西鉄は「野武士集団」と呼ばれた。近鉄監督時代には永渕洋三選手に投手と野手の二刀流をやらせた。

栗山監督は手記の中で「いつも見守ってくれていると信じている三原脩さんに、常に大谷の二刀流はこれでいいんですかと問いかけている」と書いている。

貞観政要は古い中国の政治の中から生み出されたもので、帝王学の教本とされている。

この本のことは当コラムでも取り上げたことがあるが、栗山監督は抑えから先発に回した増井や抑え役にした吉川を例に引きながら「彼らを輝かせるにはどうしたらいいか。人のために尽くすことが、何かを達成できることは歴史が証明している」と語る。

いずれにしても試行錯誤しながら勉強と実践を繰り返していることがよく分かる。

▽フィールド・オブ・ドリームス

栗山監督は評論家時代に北海道・栗山町に映画「フィールド・オブ・ドリームス」を地でいく野球場を自ら作ったことはよく知られている。

その日本ハムが今年5月に「新球場の建設」を打ち出し、自前の球場を持つ構想を持っていることが明らかになった。23年開場を目指しているそうで、札幌市内を軸に複数ある候補地の選定が進められているという。札幌に隣接する北広島市も名乗りを上げているそうだ。

建設費は200~500億円と言われており、日本ハム本社の資金提供もあるそうで、球団の北海道進出は本社に莫大な利益をもたらしたと言われている。

今の第3セクターの「札幌ドーム」では何かと制約があり、サッカーJリーグのコンサドーレとの共同使用も問題とされる。球場と球団経営の一体化で収益力を強化したいというのが理由である。

広島のマツダスタジアムが成功しているように、球団独自のやり方が自由にできるメリットは大きい。DeNAが横浜スタジアムの経営権を取得したのも球団独自の多角、多様なファンサービスをしたいからである。

▽地方球団の特性

東京ドームの高い使用料にしびれを切らした日本ハムが04年から札幌に移った翌年だったか、札幌に旅行した時、ある店で「まだまだ巨人ファンの方が多いんでしょう」と聞いたら「とんでもない。今は日本ハム一色になっている」と聞かされた。

北海道と言えば、年1回の巨人の試合が楽しみなファンが圧倒的だった。ダイエー(現ソフトバンク)が福岡に進出して大成功したのに続き、あっという間に日本ハムが道民の「おらが球団」になった。仙台も「楽天」王国である。

▽もし西武が

日本ハムの成功例を聞きながら、かつて西武が札幌にドーム球場建設を機に誘致を受けた時のことを思い出した。

知り合いの西武職員が現地調査して帰ってきた時「とても採算が取れない」と進出断念を口にした。西武は埼玉・所沢を本拠に札幌で年間20試合程度を考えており、本格移転でなかったことで話が具体化しなかったと記憶している。

これからは地方の時代と言われる。そんな中、まずプロ野球のパ・リーグが地方でよみがえっている。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆