日本のサッカー界、特にJリーグを見ていて、「簡単に解決できる問題なのに不親切だな」と思うことがある。ロスタイムに関してのことだ。

試合前後半の終了間際、選手の負傷などで失われた試合の追加時間。いわゆるロスタイムが、第4審判によってボードで示される。

しかし、せっかく残り時間が告知されても、スタジアムの電光表示は正規の45分が終了すると消えてしまう。例えば追加が5分と示されても、残り5分間の時計での表示がないのだ。スタンドにいる観客は時計を持っているからまだいい。だが、選手たちは感覚でそれを計算しなければならない。この残り時間に対する体内時計は、試合をリードしているかどうか、選手個々の疲労度によっても長さは変わってくるのではないだろうか。

ロスタイムをスタジアムの時計に表示してはならないというルールはない。訪れた限りだが、現に海外のスタジアムは90分を過ぎた後の残り時間が表示されるほうが多い。

残り時間を選手が正確にわかっていない。だから、Jリーグではロスタイムに得点が生まれる場面が多い傾向がある。ちょっと強引な結び付け方だが、時計表示があれば日本人選手の試合終了間際のゲーム・マネジメントが、もう少しうまくなる。そういう考え方もできるのではないだろうか。

時計表示がない状況での9分間のロスタイム。25日のJ1第2ステージ第13節、川崎対横浜Mの試合は最後の10分間を見るだけでも価値のあるドラマチックな展開だった。

90分間の内容を見れば、川崎が勝利に値する内容だった。得意のポゼッションから前半14分に狩野健太、後半39分に三好康児が見事なゴールを挙げ、2―0とし余裕を持って試合を締めくくるリードを得た。

しかし、後半44分に第4審判が掲げたボードに表示された「9」の数字から変化が起きた。後半立ち上がりに、川崎のGK新井章太が接触プレーで脳振とうを起こしたことが原因だった。2度にわたる中断、GKの治療の場合は試合が止まるという特殊事情のために生じた長いロスタイム。それは体力面以上に精神面で、両チームに影響を与えた。

当然のことだが勝っているチームは、早く試合が終わってほしい。逆に負けているチームは試合時間が少しでも長い方がいい。そして負けているチームは、失うものがないから思い切ったチャレンジができる。その圧力をうまく受け流せるかどうかが、チームの成熟度ということになるのだが。

この試合、開き直ったのは勝つことのみで第2ステージ優勝に望みがつながる横浜Mだった。「アディショナルタイム(ロスタイム)が長いのはわかっていた」と横浜の伊藤翔が言っていたが、残り時間で何かを起こそうという意欲が伝わってきた。そして、横浜がサイドを攻略したのは後半「51分」だった。交代出場した天野純のクロスを伊藤がヘッド。クロスバーの跳ね返りを、中町公祐が押し込んで1―2とした。

追われる側の1点差というのは、不思議と心が逃げに回ってしまう。その象徴的なものが後半「53分」の川崎・三好のプレーだった。中盤でボールを持った場面で横を走るエウシーニョにパスを出せば問題なかったのに、相手に背中を見せて逃げのバックパス。そのそれたボールを横浜の斎藤学にカットされ、土壇場で伊藤に同点ゴールを許したのだ。

三好はまだ19歳。その判断を「経験が浅いから」という人もいるだろう。ただサッカーは小学生かそれ以前からやっているわけで、そのなかでの勝負どころというのは少年でもプロでも基本的には変わらない。その意味で、日本のサッカーは「勝つためにやらなければいけないこと」「やってはいけないこと」というセオリーを、少年時代からもっと徹底して教え込む必要があるだろう。

横浜Mが見せた恐ろしいほどの執念で2―2の振り出しに戻った試合は、漫画のような展開で決着がつく。後半「55分」に右CKの流れから左サイドの田坂祐介がクロス。それを小林悠がヘッドでゴール右に流し込み3―2。劇的な決勝点を奪ったのだ。

試合後、川崎・風間八宏監督の「監督としては歓迎しがたいゲーム。観客としては最高のゲーム」という感想はもっともだった。感動的ではあったが、両チームともがゲームを締めくくることに失敗した一戦だったからだ。

かなり見応えのあるショーであったことは間違いない。ただ、試合についての評価は人によって異なるだろう。その中で一つ疑問がある。残り9分という正確な時間が表示されていたならば、このドラマは果たして生まれたのだろうかということだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。