スポーツは必ずしも爽やかさを前提にしているわけではないのだろうが、“ある場面"に出くわすととても不快な気分になってしまう。しかも、その手の下手な芝居がJリーグでは驚くほど多く演じられている。

それをブラジルで「ずる賢さ」を意味する「マリーシア」という人もいるだろう。負傷したふりをしてピッチに倒れ込み、相手チームにプレーを切ってもらう行為だ。そして、ボールがラインを出るや、倒れていた選手は何事もなかったかのように立ち上がりプレーを続ける。そんな光景に出くわすと、心情的には「ひきょう者」と叫びたくなる。

16日に行われたJ1第2ステージ第12節、FC東京と浦和の試合でも同じような“迷"演技が打たれた。後半立ち上がりの3分にFC東京が先制。1―0でリードした残り15分の時点で、東慶悟が浦和ゴール前に倒れ込んだのだ。

優勝争いをしている浦和側からすれば、同点、さらに逆転を狙う上で1秒でも惜しい時間帯だった。展開的にも攻めに出る態勢が整っていた。にもかかわらず、浦和はボールをラインの外に蹴り出した。瞬間、ボールを持っていた森脇良太の表情から「ふざけんなよ」というオーラが出ていたように見えたのは、考え過ぎだろうか。その後、浦和は3点を連取。正義は守られたのだが。

プレーが切れた後も倒れ込み、担架で運び出されるのならわかる。だが、ボールがタッチラインに出された直後、東は何事もなかったように立ち上がり、当たり前のように走りだした。FC東京のスローインで再開されたゲームは、ボールが相手GKまで戻される。中断するまでは、せっかくいい感じで攻めに出ていた浦和のビルドアップは、また最終ラインからやり直し。何という不条理だろう。

今回は、直近で目にした東をたまたま例に挙げた。この一件に限らず、Jリーグではピッチに倒れ込む演技で相手にボールを出してもらうという行為が、日常的に、まるで戦術の一部のように存在しているのだ。

状況によっては、相手にプレーを止めてもらうことも必要だ。それが大きな負傷の場合は、いち早く行われなければいけないだろう。ただ、基本的に負傷の度合いがわかるのは本人だけ。第三者では判断するのは難しい。問題なのはJリーグでは、その負傷の演技が相手の攻撃を中断させる“守備"として成り立っているということだ。

スポーツマンシップに欠けるこの守備戦術。それは、対戦相手が優しいJリーガーだから可能なところもある。同じ日本人でも日本代表の選手が、国際試合でこの手の演技でゲームを止めることは少ない。それは日本代表選手としての自覚と誇りが関係するのだろう。しかし、それ以上にピッチで倒れていても、海外の選手は簡単にプレーを止めてくれないという常識を身に付けていることの方が大きいのかもしれない。

せっかく攻め込んだのに、ボールをGKに戻されてそこから攻撃をまた組み立てる。Jリーグのすべてのチームが、攻めの形を簡単に作れるとは限らない。対戦相手との力関係があるものなので、場合によっては1試合で数回しか効果的な展開をできない場合もある。そのチャンスに相手に倒れられたら、それは実力の劣るチームとしては大迷惑だ。

その意味で2014年までの5年間、J2岡山を指揮していた影山雅永監督の考え方は、明快だった。

「相手チームの選手が倒れていても、うちのチームはプレーを切りません。そのかわり、岡山の選手が倒れていてもボールを出さなくて結構です」

初めからそう宣言しておけば、相手も演技で倒れることはない。ピッチに寝転んでいるのが無駄だとわかっているからだ。

相手をだますために、ケガをしたような演技をする。これがかなり恥ずかしい行為だと、サッカーに携わるすべての人が認識し直すべきだろう。もちろん選手に対する教育は、クラブや指導者が徹底しなければいけない。加えて、サポーターの果たす役割も重要だ。

プレーが切れた途端、倒れていた選手が何事もなかったかのように立ち上がる。その演技者に相手チームのサポーターからは当然のようにブーイングが浴びせられる。だが、それだけでは選手はなんとも思わないだろう。

効果的なのは、自チームのサポーターがブーイングを浴びせることだ。ひきょうな行為をする者に対しては、たとえ自チームの選手であろうともたしなめる。サポーターにもそういう自覚は必要だ。なぜなら各クラブのサポーターは、自チームにひきょうな選手がいることを望んでいるはずはないからだ。

この国の代表チームは「サムライブルー」と呼ばれる。武士(もののふ)としての誇りを持ち合わせる侍なら、見苦しいことはやってはならないのだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。