広島お好み焼き屋のおばちゃんが店で野球中継を見ながら「なんで送りバントせんのかのう」。かつて私が見聞きしたことだが、実は広島ではこんな光景は珍しくない。

高校野球、プロ野球で鍛えられた「野球通」が多い。老若男女を問わずである。

そして昔は広島カープがリードしていると、球場に駆けつけるファンが相当いた。野球が身近にある、地方球団ならではのことである。

そんな土地柄だけに、両リーグで一番優勝から遠のいていた「おらがカープ」が25年ぶりに果たしたリーグ優勝に町中が熱狂したのはもちろんだが、広島ファンならずとも熱くなった人は多かったと思う。

球団経営に苦しみ続けた親会社を持たない地方球団が、知恵を絞った結果の7度目のリーグ優勝でもあった。

▽若手選手の成長

1950年にカープが誕生して以来、地方の弱小球団の悲哀を散々なめさせられてきた。頼みの綱は巨人戦での放映権料だった。

かつかつの経営が続く中、苦労が工夫を生むとでも言えばいいのか、選手補強の面で一つのポリシーを確立していく。できるだけお金をかけないやり方だ。

無名選手であろうが、将来性のある選手を入団させて鍛え上げる。他球団とは違う路線を突き進んだ。

全国をくまなく歩き、選手を見つける広島のスカウトはひと味違うと評価されていた。

沖縄から初のプロ選手、安仁屋宗八氏の場合は甲子園出場選手ではあるが、他球団から注目されていなかった。それを20勝投手に育てた例などがある。

その広島を象徴するのが今季1~3番を打った田中広輔、菊池涼介、丸佳浩。いずれもドラフトの指名は2、3位で神奈川、東京、千葉出身の27歳。こうした若手選手の育成が優勝への原動力になったのは間違いない。

▽路線変更も

もちろん、山本浩二氏(法大)や12日現在、14勝をマークしている野村祐輔(明大)のように東京六大学のスター選手もその都度獲得してきた。ここ3、4年を担う若手投手は大学出身者で占められている。

さらに、球団の路線変更もあった。それはFAなりで球団を出て行った選手は獲得しないという不文律を捨てたのである。

黒田博樹であり、新井貴浩である。もちろん大金をかけてFAで獲得することはしないが、この二人のベテランが果たした役割は計り知れない。

今回の優勝で一番書きたいのはこのことである。つまり、自前の選手を育てると同時に、優勝争いをする上でチームに合った有力選手を補強することがいかに必要かということだ。

外国人選手も、優勝を争える力を付けた時に大物を連れてこないと、高い買い物になるばかりである。

一時の巨人のようにチームのバランスを無視して闇雲にFAで大型選手ばかりをそろえても勝てない。チームづくりのプロがいないと、往々にしてそうなる。

広島が球界に与えたチームづくりは教訓的である。

▽経済効果は330億円

「カープ女子」に象徴されるように、カープ人気は全国的だ。観客動員数も好調で、なにより巨人や阪神のように、広島がビジターのゲームでも動員数は多い。

報道によると、今回の広島の優勝が広島県にもたらす経済波及効果は約330億円に上るそうだ。

関西大学名誉教授の宮本勝浩氏の試算では、球場に来るファンの消費が約50億円、優勝セールや飲食は約120億円、地元銀行の「優勝貯金」が約77億円等々。2013年の楽天優勝での宮城県の場合は約210億円で、それを大きく上回る経済効果を生むとしている。

▽球団創設2年目に合併話

広島球団の歴史はそのまま経営危機との戦いといえる。球団創設2年目の1951年には大洋(現DeNA)との合併話が出る。この危機を救ったのが、最初の本拠地だった広島県営球場前に置かれた市民の「樽募金」である。

その後も存続が危ぶまれ、東洋工業(マツダ)に依存した時期があり、「広島東洋カープ」という球団名が残っている。

04年の球界再編騒動では「1リーグ8球団」の流れが実現していれば、年間100~110万人の観客動員実績のカープは生き残れないか、他球団との合併になっていたかもしれない。

このときも危機感を持ったファンが2度目となる「樽募金」を行い、1億2000万円を集めたのはつい最近のことだ。

▽成功したマツダスタジアム

このあたりから、老朽化が激しい広島市民球場に代わる「新球場建設」に本腰が入り始めた。

私は1999年から2年半、広島で勤務していたが、市民球場の建て替えやドーム球場構想などの噂は飛び交ったが、具体的な話は出て来なかった。

メジャーがドーム球場から、いわゆる青空の下の「ボールパーク」球場に変わる中、広島もプラスアルファをもたらすボールパーク建設を決め「マツダスタジアム(広島市民球場)」が09年春に完成した。その成功ぶりは関係者の予想以上だったと思う。

楽天が球場に観覧車をつくったのは広島の影響。ドーム球場にはない、子どもも楽しめる新しい時代の野球場の幕を開けたのは、広島である。

▽町とともに

被爆からの復興のシンボルとしてつくられた球団。57年から2代目の本拠地、旧市民球場は平和記念公園の前にあった。すぐ近くを流れる太田川の川べりには数多くのバラックが建てられていた。

学生時代、知り合いのバラックで寝たこともあったが、正直、治安も含め球場の周りは物騒な場所だった。そんな中、ナイター照明もまぶしい球場が出現したことで、再開発が急ピッチで進んだ。

バラックの住民は対岸の市営住宅に移り住み、球場近くにはデパートができるなど、新都心に生まれ変わった。

マツダスタジアムはJR広島駅から歩いて約10分。開発が遅れていた広島駅周辺の再開発は市の念願でもある。

キャンプ地などでは見られる球団と自治体の関係は、昔とは比べようもないほど密接になっている。その象徴が、老舗地方球団の広島である。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆