「相手にDFラインの裏を取られない」

サッカーにおける守備の注意点について選手に質問すると、必ず返ってくる言葉だ。この原則を攻撃側から考えると、DFの裏のスペースを突くことで優位に立てるということになる。ところが、Jリーグの各チームが有効なスペースを意識して攻撃を組み立てているかというと、必ずしもそうとは言い切れないことに気付く。

このスペース探しにたけるスルーパスの名手、J1川崎の中村憲剛は以前、こういうことを言っていた。

「DFラインの後ろに走り込めば、それに合わせてパスを出すのに近ごろのサイドの選手は足元でボールを受けたがるんだよね。前を向いてスペースで受けた方が次のプレーがしやすいのに」

確かに、静止した状態でボールを受ければ、マーカーを振り切るという作業から始めなければいけない。その上、マーカーを完全に外すことは簡単ではない。このため、プレッシャーを受けながらクロスを出すことになり、そのクロスは正確性が欠けてしまいがちになる。逆にDFラインの後ろにスピードに乗って入り込めれば、前を向いた状態のままフリーでボールを扱える。当然、余裕を持てることになるのでクロスの精度が上がるのだ。

ところが、Jリーグではサイドの選手が足元でボールを受けるプレーが圧倒的に多い。なぜかと考えるとメッシ(バルセロナ)やロナルド(レアル・マドリード)の影響力に行き着く。いや。その一世代前、バルセロナやブラジル代表で活躍したロナウジーニョの時代からポゼッション・サッカーの流行もあり、このようなプレーをする日本人選手が多くなっている感じがする。

ただ、この3人は世界レベルでも規格外。いわば、モンスターだ。彼らのように独力でマーカーを引きはがすことのできる日本人選手は、ほとんどいないというのが現実だ。

普段、そんなことを思っている者にとって、8月27日に行われたJ1第2ステージ第10節、横浜M対鹿島の試合はまさに「目からうろこ」の試合だった。ポゼッション・サッカー時代に“絶滅危惧種"となりつつある本物のドリブラーと、スルーパスの達人たちの息もつかせぬ戦いとなったからだ。

先制点を挙げたのは鹿島。前半28分に左サイドの金崎夢生がロングスルーパス。右サイドからダイアゴナルに走り込んだ鈴木優磨がGKの逆を突いてプッシュした。そのゴールを見て思い出したのは、鹿島のレジェンド・ジーコがブラジル代表で見せたプレーだ。

1982年ワールドカップ(W杯)スペイン大会のアルゼンチン戦。左サイドのジーコが右サイドバックのジュニオールに通したスルーパスから挙げたブラジルの3点目がまったく同じ形だったのだ。このゴールはシュートもそうなのだが、パスの出し手にピッチを俯瞰(ふかん)できる高い戦術眼が求められる。金崎のセンスの高さに驚かされた。

スルーパスに限らないが、クラブに特徴的なプレーのスタイルというのは受け継がれていくものなのだろう。日常の練習で若手はうまい選手のプレーをまねする。そして、試合で使える技術となる。

鹿島の場合の受け継がれる武器の一つは、ジーコを始祖とする相手守備の急所をえぐる縦パスということになる。後半40分の2―2とするファブリシオの同点ゴールもそうなのだが、基点となったのは交代出場の伊東幸敏が入れた裏を取るパスだ。小笠原満男や柴崎岳といったパスの職人だけでなく、西大伍を含めた最終ラインの選手も当たり前のようにスルーパスを狙える。これは他のチームにはない、鹿島だけが持つ幅の広さだろう。

このパスの出し手と受け手の良好な関係が際立った鹿島に対し、横浜Mは「個」がスーパーな活躍を見せた。“カモメッシ"こと斎藤学だ。

サッカー界には「キレキレ」という言葉があるが、この日の斎藤のプレーがまさにそれ。特にドリブルはメッシ級の切れ味で、ファウルでしか止めようがないほどだった。

素晴らしかったのは、この試合では得意のドリブルが効果的に得点に結びついたことだ。前半終了間際の45分にはカットイン直後に送ったシュート性のクロスで伊藤翔の1―1となるゴールを生み出し、後半35分にはゴールと2点すべてを生み出した。

特に西のパスミスをカットして相対するファン・ソッコを鋭い切り返しで手玉に取って決めた得点は痛快だった。Jリーグでは久しく見ていなかった個人技によるビューティフルゴール。この試合が1週間前に行われていたら、間違いなく日本代表に選出されていただろうというレベルのプレーだった。その意味でこの日の斎藤は、足元でボールを受けてもマーカーを引きはがせる数少ない存在。日本の貴重な戦力であることを証明した。

結果は2―2の引き分け。それでも内容のぎっしり詰まった試合だった。雨天という悪条件だったが、こんな試合をしていれば「サッカーは楽しい」と気付く人も多いだろう。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。