試合内容を見ているだけで、その国のリーグ戦の状況が想像できる。観衆にそう思わせるのは、ピッチに立つ代表チームの背景に確固たるサッカー文化が存在するからだろう。

リオデジャネイロ五輪の男子サッカー決勝は、ネームバリューでいえば最高の組み合わせだったのではないだろうか。確かに、ブラジルとドイツでは今回の五輪に対するとらえ方に違いがあった。それでも「基本23歳以下」という制限が、逆に自国リーグでプレーする選手を主体にチームを組ませる結果となり、A代表に比べても両国のいわゆる「らしさ」が表れた試合になった。

過去3度の決勝に進出してはいるものの、前回のロンドン五輪も含めてまだ一度も金メダルを獲得したことのないブラジル。5度のワールドカップ(W杯)制覇だけでなく、各年代の国際大会でも常に主役となってきた「サッカーの王国」が唯一獲得していなかったタイトルが五輪の優勝だ。

五輪のサッカーでプロ選手の参加が認められるようになったのは、1984年のロサンゼルス大会から。そのなかで五輪を軽視する欧州勢とは違い、ブラジルはすごい選手を本大会に送り込んできた歴史がある。

88年ソウル大会で得点王に輝いたのはロマーリオ(7点)。96年アトランタ大会では、さらに豪華なメンバーがそろった。後に日韓W杯を制するロベルト・カルロス、リバウド、ロナウドに加えオーバーエイジ(OA)でアウダイール、ベベットを補強したサッカー版「ドリームチーム」だ。ところが、「マイアミの奇跡」で日本に大金星を献上し、最終結果も銅メダル。以来、五輪は王国にとって最大の鬼門となるのだ。

その意味で自国開催となった今回のブラジルには、かなりのプレッシャーがあったに違いない。求められる結果は「優勝」のみ。しかも、決勝の舞台はマラカナン。1950年W杯決勝リーグ最終戦、事実上の決勝戦とされたウルグアイ戦で逆転負けを喫し国中が失意のどん底に陥った、いわゆる「マラカナンの悲劇」が生まれたスタジアムだ。

66年前のトラウマ。加えて、ブラジルにはもう一つのトラウマがあった。2年前のW杯で1―7の歴史的大敗を喫した「ミネイロンの悲劇」だ。決勝戦の相手がドイツと決まった時点で、“セレソン"は二つの精神的重荷を背負わなければいけなかった。

そんなブラジルはタイトルを取るためのチームを作ってきた。ネイマールを筆頭にOA枠にレナトアウグスト、GKウェベルトンを補強し、すでに欧州を舞台に活躍するマルキーニョスなど、この年代では最高のメンバーをそろえてきた。出だしこそ2引き分けと低調だったが、決勝の舞台にたどり着いたのは必然だったのだろう。

一方のドイツは7大会ぶりの出場でもわかるように、これまで五輪を重視してきたわけではない。OA枠もラースとズベンの双子のベンダー兄弟にFWのペーターセンとA代表でばりばり活躍している選手ではない。五輪を「育成の場」ととらえている感じが色濃く、タイトルに対する考え方の中途半端さは日本とも共通していた。

ただ、日本の選手たちと決定的に違うのは、ドイツの選手たちはサッカーが何を目的にするスポーツかを個々の選手がよく理解していることだ。ゴールチャンスには迷うことなくシュートを放ち、守る時には徹底的に守る。プレーの選択に無駄がないのだ。

ネイマールがボールを持った時の集中守備。カウンターを受けた時の戻りの速さ。そのプレーは、間違いなくブンデスリーガで彼らが日常的に行っているものだろう。Jリーグに見られる緩さは、少なくとも決勝を戦ったドイツの選手たちからは感じられなかった。

その組織的なドイツと相対したブラジルは、欧州クラブでプレーする選手で占められるA代表以上に「らしさ」があった。かつてわれわれが「ブラジル」を感じた個人の技術。ガブリエルバルボサ、ガブリエルジェズスなどの若いアタッカーからは、ブラジルサッカーの根底にある“ジンガ"の遊び心が伝わってきた。彼らのスタイルも自国の歴史によって作り上げられたものだろう。

たとえ違う色のユニホームを着て戦っても「ブラジル」と「ドイツ」とわかるサッカーを決勝戦で展開した両国。そのプレーを見て、わが国にはいつになったら自分たちのスタイルが備わるのだろうか思った。誰もが「日本」とわかるようなサッカーを展開する時代が訪れたとき、日本にもサッカーが文化として定着しているのだろうか。それまでにどれくらいの時間を費やすのかはわからないが。

決勝は白熱した戦いとなっただけに1―1からのPK戦決着は、ドイツにとってはかわいそうな結末となった。だが、これも何かの巡る合わせかと、テレビに映る懐かしい顔を見て思ってしまった。

なぜなら、W杯史上初のPK戦となった1982年スペイン大会準決勝で西ドイツ(当時)がフランスを下した一戦でウイニングPKを蹴り込んだ選手。それは今回のドイツを率いたルベッシュ監督だったのだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。