規則正しくて緻密―。

日本人の国民性を表すとき、よく用いられる言葉だ。確かに、「ORDEM E PROGRESSO」(秩序と前進)を建国時の努力目標とし、国旗にも掲げているブラジルと比べれば、社会全体としての統制は取れている。ただ、サッカーに限定すると、日本が世界的な常識と緻密さを正しく身に付けているかというと、はなはだ疑問になってくる。

日本人はサッカーの戦術を“難しく"語ることが大好きだ。しかし、サッカーとはそこまで複雑なスポーツだろうか。個人的にはそうは思わない。しっかりとした技術と判断力を備えた選手がそろっていれば、戦術は最小限でいい。この競技をやる上でのセオリーを選手が守ってさえいれば、サッカーとは至ってシンプルだ。ただし、どのような事柄でも「単純なものほど奥が深い」というのも事実ではある。

Jリーグという目に見える見本が誕生して以降、日本の少年たちのボール技術は上がった。そのボールを扱う技術には三つある。ボールを蹴る技術(キック)。ボールを止める技術(トラップ)。そして、ボールを運ぶ技術(ドリブル)だ。ただ、日本の育成年代の選手たちがうまくなったのは、三つの要素の一部分。ドリブルの部分だけなのだ。

ボールを運ぶ技術は、Jリーグ発足以前より確実に巧みになった。とはいえ、サッカーにおける優先順位をつければ、ドリブルは3番手の技術だ。サッカーで最も大切なのは「蹴る」「止める」の技術。ところが、日本の育成年代では、キック(キックを練習すれば必然的にトラップの練習も含む)の練習がおろそかにされているという現状がある。

現在の日本選手で試合中に30メートル先のターゲットにピンポイントで合わせるボールが蹴れる選手は誰だろう。中村俊輔、小笠原満男、中村憲剛、青山敏弘―。今年30歳になったばかりの青山には申し訳ないが、すぐに出てくるのはいずれも35歳を超えたベテラン選手たちばかり。若い世代で思い浮かぶのは24歳の柴崎岳くらいだ。

バルセロナとスペイン代表が見せる「ティキ・タカ」と呼ばれる緻密なパスワークのサッカーが世界を席巻すると、日本の指導者の多くがむやみにショートパスをつなぐサッカーを志向するようになった。同時に、長いキックの技術はますます軽んじられるようになった。しかし、キックのうまさというのはそのままシュートやクロスに直結するのだ。

Jリーグでキック精度を武器にする若手が、なかなか現れてこない。それは指導の在り方にある。昔に比べると、決定的にキックの練習が不足しているのだ。それを考えれば、キックに関してはリオデジャネイロ五輪を戦った手倉森ジャパンの選手よりも、46年前のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した選手たちの方が高い技術を持っていたのだろう。

そのメキシコ五輪で得点王に輝いた、日本が誇る偉大なストライカーである釜本邦茂氏は学生時代、同じ形からのシュート練習を延々と繰り返したという。その結果、ゴールを見なくても同じポイントにボールを突き刺すキックを会得したという。

日本ではよく攻撃に関して「個々が持つイマジネーション」と発言する指導者がいる。だが、その言葉は抽象的すぎる。世界のトップスコアラーの点を取る技術というのは、即興的に繰り出すものではなく、練習を繰り返す中でいわば「型」として身体化されたものがほとんどだ。釜本氏も「絶対的なパターン。それを封じられたときの逆のパターン。シュートの型を二つか三つ持っていれば点は簡単に取れる」と断言している。

事実、点取り屋として歴史にその名を残すバティストゥータ(アルゼンチン)やオーウェン(イングランド)、ロナウド(ブラジル)がゴールシーンで見せる、シュートに持ち込む形はほぼ同じだ。最後に正確なキック技術というのは不可欠の要素はあるのだが。

連日、白熱の戦いを繰り広げているリオ五輪。他の競技を見ていると、サッカーにも参考になる場面があることに気付く。例えば、バスケットボールで得点を重ねる3ポイントシューターのプレーだ。シューターは判を押したように同じポジションに入る。そして、一瞬の静止状態を保ってからシュートモーションに入っているのだ。

シュートの直前に止まることは、サッカーにも共通する。キックのうまい選手というのは、キックという一連の動作の中で「止まった時間」を作り出すことにたけている。いわば、プレースキックと同じ状況に近づけてボールを蹴るのだ。

問題は3ポイントシューターに当たるストライカーにどのようなラストパスを通すか。点取り屋のシュートするエリアが決まっていれば、サッカーでもチームとしての攻撃の形はおのずと定まってくるのではないだろうか。

日本人が「自由な発想」の名の下に、緻密さを欠いたままプレーしているサッカーというスポーツ。世界と戦うには、じつは細部にわたった数多くの約束事が不可欠な競技なのではないだろうか。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。