男子サッカーにおける五輪の位置づけは、国によってかなりの温度差がある。そう考えると、基本的に23歳以下の選手で争われる五輪はU―20やU―17という年代別に開催されるワールドカップ(W杯)よりもタイトルの持つ価値が低い気がする。

一部の国を除いて、五輪に出場してくる選手のほとんどはプロ選手だ。ところが、国際サッカー連盟(FIFA)は五輪を国際Aマッチデーに指定していない。クラブに選手の派遣する義務はないので、出場国が「最強のチーム」を編成することは難しくなる。

サッカーが莫大(ばくだい)な金銭を生み出す興行として確立しているだけに、問題はややこしい。当然ながら選手たちに給料を払っているのは各クラブだ。クラブは自分たちの利益を優先する権利がある。そうなれば今回のクラブの事情で不参加となった久保裕也ではないが、クラブが招集を拒否する例は増えてくる。特に新シーズンが始まる直前の欧州ではその傾向は顕著になるだろう。

リオデジャネイロ五輪で日本と同グループになったスウェーデンは欧州王者だ。だが、18人の登録メンバーのうち、五輪の欧州予選も兼ねたU―21欧州選手権(2年かけて行われる予選の開幕時に21歳以下)決勝戦で先発したメンバーは3人しかいない。

言い換えれば、五輪に出場する欧州のチームは予選を戦った時点とはまるで違うチームになっている。多くの場合、チームとしての成熟度は劣る。そんなチームが各グループに確実に1つ組み込まれてくるのだから、前回のロンドン大会のようにアジア勢でも本気を出せばベスト4に2カ国が入ることも可能になる。それが五輪という大会なのだ。

日本サッカー協会は五輪にどの程度の価値を見いだしているのだろうか。例えば、五輪代表へ派遣する選手はJリーグ各チーム3人までとなっている。Jリーグは五輪期間中も公式戦を実施する関係で不公平が生じないようするためだ。しかし、五輪に対する日本国民の関心の高さを考えるならば、日本協会とJリーグは五輪代表のあり方をもう少し見直したほうがいいのではないだろうか。

カヌーのように、まったくなじみのなかった競技でも日本選手が五輪でメダルを取ると一躍注目される。それをテレビなどが取り上げることによる宣伝効果を費用に換算したらすごいものだ。同じように五輪代表が活躍することでサッカーが注目され、結果としてJリーグの観客増に結びつくのなら、できる限り強力な五輪代表チームを編成するべきではないだろうか。

五輪で勝つ。それを考えれば、今回の手倉森ジャパンで大きな疑問となるのがオーバーエイジ(OA)の人選基準だ。本来ならばチームに「違い」をもたらすはずのOA。経験豊富なはずの選手が、逆に足を引っ張る形になった。その責任は選手個人にも多少はあるが、選ぶ側に問題があったと思う。

興梠慎三、塩谷司、藤春広輝。今回、OAでチームに合流した3人は、Jリーグでは確かに素晴らしい実績を残している。ただその活躍の場はあくまでも日本国内が主で、国際舞台となるとアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)に限られる。確かにフル代表の合宿には招集されているものの、国際経験は皆無に等しい。だから、ナイジェリア戦の後に「思わぬところから足が伸びてきた」などという感想が出てきたのだろう。

今回のOAの人選は、フル代表が主役という感じが強い。ハリル・ジャパンの選手層を厚くするために、3人に国際経験を積んでもらうのが主目的。その中で五輪代表でも「中心になってくれれば」程度の考えで人選が行われたと邪推されてもしょうがないだろう。

期待からはほど遠い出来だが、開催国のブラジルはOAにネイマールを担ぎ出した。そして、日本と対戦したナイジェリアはフル代表でも10番をつけるミケル、コロンビアは2014年南米最優秀選手のグティエレスというビッグネームで違いを生み出してきた。それに比べれば日本のOAは限りなく中途半端。フル代表でもなく五輪代表でもない選手が急にチームに加わったという感じだ。

結果だけを求めるならば、中村俊輔という選択肢もあったと思う。海外経験と存在感、さらに左足のFKという必殺の飛び道具―と、国際トーナメントを戦うための要素をすべて備えているからだ。

短期決戦を勝ち抜くにはラッキーボーイの存在が不可欠と言われる。今の日本五輪代表には、逆に“アンラッキーボーイ"がいる。にもかかわらず、第3戦まで決勝トーナメント進出の可能性を残していた。まさに奇跡だ。

締め切りの関係で、この原稿は1次リーグ最終戦のスウェーデン戦を前に書いている。だから、日本が準々決勝に進めたかどうかは不明だ。それでも2試合で7点も失ったチームが、まだ「息をしている」というのは普通ではあり得ない。もし、そのチームが1次リーグを突破したら、手倉森誠という監督は恐ろしいほどの強運の持ち主ということになる。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。