現場に居合わせたら、おそらく呼吸をするのもためらわれるほどの緊迫感だったのだろう。欧州選手権(ユーロ)準々決勝。2日にボルドーで行われたドイツ対イタリアは、事実上の決勝戦ともいわれていただけに、期待を裏切らない密度の濃い一戦となった。

長い時間を経て蓄えてきた知略と戦略のすべてを注ぎ込んで、勝利という結果を得る。ともにワールドカップ(W杯)4度の優勝経験を誇る両国には、“歴史力"ともいえる伝統の底力としたたかさが備わっているのではないだろうか。

それは、同じく世界王者の称号を持つ国々、例えば、わりと最近にW杯覇者となったフランス(1998年フランス大会)やスペイン(2010年南アフリカ大会)とは異なる。答えは時間が経過することでしか出ないのだが、フランスやスペインの栄華というのは一過性のものである可能性もある。

ドイツとイタリアは大会ごとの選手のクオリティーに差こそあるが、受け継がれるDNAとサッカー品質は安定している。例えるなら、誰もが「この味」と納得できる昔ながらの食べ物。その意味で、ドイツ人とイタリア人はサッカーにおける「普遍の国民食」を持っているのだ。

メジャー大会における両国の対戦結果が、これだけ一方的だとは思わなかった。8試合を戦いイタリアの4勝4分け(W杯=3勝2分け、ユーロ=1勝2分け)。ドイツは西ドイツ時代も含めて、一度もイタリアに勝ったことがないそうだ。そして、当事者はこのような過去の歴史をより意識するのだ。

不動のアンカーだったデロッシが負傷し、代役のモッタも出場停止。問題を抱えたイタリアだが、同じポジションをパローロが埋めることで大きな破綻はきたさなかった。対して、苦手意識を持つドイツは大きく動いた。大会に入っての4試合を4バックで勝ち抜いてきたにもかかわらず、イタリア戦では3バックを採用。レーウ監督は3バックの右にヘーベデスを置き、前のスロバキア戦で1得点1アシストのドラクスラーをベンチに。現世界王者の方が相手に合わせたのだ。

大会前には「史上最もタレントのいない」とやゆされたイタリア。しかし、大会に入るとコンテ監督の作り上げたチームは、屈指の「戦える集団」になった。それでもドイツが本来のように攻めに出れば、試合にはもう少し動きが出たと思うのだが。

攻めに出るはずのチームが慎重になり、守りが持ち味のチームが自分たちのペースを保つ。後半20分にドイツはエジル、同33分にイタリアはボヌッチのPKでのゴールがあったが、両国が持つ2種類の思考の組み合わせでは得点が少ないのは当初から予想された。

延長120分を終えて、1―1の同点。他のカードなら「次に進むための決定法」としか思わないPK戦だが、誰もが夢見ていた「11メートルの神経戦」が実現した。ノイアーとブフォンというサッカー史上最も高レベルのGKによる直接対決だ。GKは21世紀に入ってサッカーで最も進化したポジション。中でも、ノイアーは14年ブラジル大会、ブフォンは06年ドイツ大会と、ともにW杯優勝に貢献しているこの両者は、技術的にも精神的にも間違いなくベストの存在だ。

ドイツには1974年W杯西ドイツ大会を制したマイヤー、イタリアには82年同スペイン大会優勝のゾフという名GKがいた。この2人と比べてもノイアー(193センチ)とブフォン(192センチ)は10センチほど高い。そんな長身選手が、マイヤーやゾフの時代とは違い、恐ろしいほどのアスリート化された運動能力を示しているのが現在のサッカーだ。

PK戦は、優れたGKの存在がいかに相手を威圧するかというのが証明するものとなった。9人目までもつれ込んだ、まれに見る展開。キッカーはイタリア代表選手とドイツ代表選手なのだ。技術面だけを見れば、彼らがPKを外す要素は考えられない。ところが、結果は両チーム合わせて7人が失敗。考えられる失敗の要因は精神面だけだった。

ドイツが6―5で準決勝に進んだPK戦。イタリアはザザ、ペッレの2人がゴール枠を外し、ボヌッチとダルミアンがノイアーにストップされた。一方のドイツはエジルとシュバインシュタイガーが枠を外し、ミュラーがブフォンにセーブされた。相手が偉大なGKであることを意識するあまり、ギリギリを狙った末のミス。その意味でこの両GKがゴールマウスに立つことは、それだけで相手に対する効果的な「守備」なのだ。

記録上は引き分け。失意の中、フランスを去ることとなった38歳のブフォンは今大会も素晴らしかった。代表デビューは97年、19歳のとき。それから人生の半分を「アズーリ(イタリア代表)」にささげ、160を数える出場記録は同代表歴代最多だ。そんなブフォンには、まだイタリア国歌を大声で歌ってほしい。そういえば、名手ゾフがキャプテンとしてW杯で黄金のトロフィーを掲げたのは、40歳のとき。ブフォンにとっては、2年後のロシアがちょうどそれに当たる。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。