リオデジャネイロ五輪・パラリンピックの開幕が近づき、各競技に向けられる視線も熱を帯びてきた。このビッグイベントが終われば、いよいよ2020年東京五輪・パラリンピックへのカウントダウンが始まる。多くの日本人が4年後の東京の情景に思いを馳せながら、南米初の五輪・パラリンピックの行く末を見守るのだろう。

今回、パラリンピックの取材を担当していて、障害者スポーツの認知度向上や環境改善の起爆剤にしようと、関係者は東京大会に大きな期待を抱いているのが分かる。

14年度にパラリンピックの所管が厚生労働省から文部科学省へ移管され、選手の強化拠点の共用など五輪と一体的な選手強化が進む。民間の関心も徐々に高まっている。大手企業が有力選手のスポンサーにつき、練習中心の生活を送るプロのような契約を結ぶ選手も増えてきた。自ら道を切り開いてきた第一人者、車いすテニス男子の国枝慎吾(ユニクロ)や、競泳男子の木村敬一(東京ガス)、車いすラグビーのエース池崎大輔(アディダスジャパン)らがいい例だ。各競技の大会に協賛するケースも珍しくなくなった。

しかし、こうした盛り上がりが必ずしも強化環境の整備にはつながっていないようだ。はっきり言うと、支援額がまだ十分ではない。障害者スポーツの場合、障害の種類や程度で差はあるが、介助者が必要という事情もある。たとえば、全盲のスイマー、木村。リオでは金メダルの期待が懸けられている存在の木村ですら、いまだに練習場の確保に苦労している。都内の数カ所のプールを転々とし、コーチの知人のつてを頼るなどして何とかトレーニングを続けている。それでも100メートル平泳ぎで銀メダリストとなった前回12年ロンドン大会の時と比べ「ようやく水泳選手のようになれてきた」と、練習環境の変化は口にする。

サポート選手といっても、契約社員としての単年契約でコーチングや介助にかかる費用などは自己負担というケースも少なくない。介助者の苦労も相当なものだという。

ある選手のマネジメント担当者は、あらゆる現場に同行し、送迎や取材対応などをこなしても企業側に「会社の仕事」としては認められず、これまで身銭を切った額は1千万円にもなるという話も聞く。「これではあと4年も続けられない」と切実だ。

パラリンピックがすぐに五輪競技と同等の扱いを受けるのは容易ではないと思う。2020年を機にパラリンピックの地位を引き上げるにはどうすればいいのか。リオ大会の日本選手団団長、大槻洋也(日本パラリンピック委員会強化委員長)は代表選手発表の記者会見で「東京開催が決まってから、今まで以上にパラスポーツがメディアやいろいろな場面に登場することが多くなった。まだパラスポーツを知らない方が多い中で、それを広報するために、やはり好成績を出さないと五輪と同じように見てもらえない」と言った。「結果を出す」。この点は五輪と同じようだ。日本勢の奮闘を願わずにいられない。

村形 勘樹(むらかた・かんじゅ)1983年生まれ。山形県出身。全国紙の広島勤務で警察や裁判所を3年担当。2012年に共同通信に入社し、札幌支社を経て15年5月に運動部へ。現在はJOC、体協担当。パラリンピックのほかソフトボールやセーリングなどアマチュア競技を担当している。