28年ぶりの出場を果たした1996年アトランタ五輪。あれからシドニー、アテネ、北京、ロンドンと、五輪は出場するのが当たり前の大会となった。各大会の予選においては多少の困難と思える場面があった。しかし、振り返れば、どの大会も楽に出場権を獲得できたという印象が強い。

一方、今回のリオデジャネイロ五輪を目指したチームは93年のJリーグ発足以降で唯一本大会出場を疑問視されたチームだった。U―20(20歳以下)W杯の出場経験者が一人もいない「谷間」の世代。U―17(17歳以下)W杯に出場した選手は数人いるが、国際経験に著しく欠けるチームであることは間違いなかった。

今年1月に中東・カタールのドーハで行われた五輪最終予選を兼ねたU―23(23歳以下)アジア選手権。期待されていなかったチームが良い意味で予想を覆した。しぶとく勝利を重ねた若き代表は準決勝でイラクを破り、6大会連続の五輪出場を決めた。さらに、決勝の韓国戦では2点のリードをひっくり返すという劇的な展開で優勝を飾った。

「若いチームは、一日ごとに成長する」

手倉森誠監督に率いられて最終予選を戦ったチームを見て、当時は心底そう感じた。華やかさにこそ欠けるが、体をぶつけ合って勝負ができるチーム。その姿を見て頼もしく思ったものだ。

ところが、その五輪チームがフランスで危うげな状況に陥っている。世界各国のU―23年代の代表チームが集うトゥーロン国際大会で、手倉森ジャパンが苦戦を強いられているのだ。25日(日本時間26日)に行われた1次リーグ第3戦、同じグループBで最もレベルが落ちると思われるギニアに2―1の勝利を収めたものの、初戦のパラグアイ、第2戦のポルトガルには連敗を喫した。

問題は敗戦という結果だけではない。今回は内容にも希望を持てる要素がほとんど見当たらない感じだ。アジア最終予選では、短期間に成長するという若さならではの可能性を見たが、今大会を見ていると若さゆえにその成長が一瞬で瓦解(がかい)してしまう不安定要素も、同量で含んでいるのではと不安になる。

リオデジャネイロ五輪の本番まで2カ月あまり。この時期でまだチームの骨格が見えてこない。そのことに、多くの人はもどかしさを感じているのではないだろうか。

確かに、このチームは不運な問題を現在抱えている。アジア最終予選での躍進は安定した守備に支えられていた。ところが、その時にディフェンダー登録された8選手のうち、奈良竜樹、山中亮輔、室屋成、松原健が故障でプレーできない状況だ。さらに今大会初戦のパラグアイ戦で岩波拓也と亀川諒史が負傷。特にレギュラー当確といわれた岩波は左膝内側側副靱帯(じんたい)を痛め緊急帰国した。いまのところ無傷なのは植田直通だけ。彼を中心に、最初から守備ラインを組み直さなければいけない状況はかなり厳しい。

メンバー選びは間違いなく難しいものになるだろう。アジア最終予選で23人の枠があったメンバー登録は、五輪本番では18人。本大会における日程の過密さを考えれば、1人が複数のポジションをこなせなければ苦しい。その意味で五輪は、その国の持つ最強チームを披露する大会ではない。戦術にアクセントを与えるスペシャリスト。その武器を登録する余裕がないというのが現実だ。

一戦必勝の特別なチームを編成することはできない。アベレージが求められるのが五輪なら、サッカー偏差値の高い選手を集めることが不可欠だ。試合の流れのなかで、勝負どころを見極められる集団。そういうチームでなければ日本が勝ち抜くことは困難だ。

ところがトゥーロンでの戦いぶりを見ていると、明らかにサッカーの「イロハ」を知っているのは相手の方だった。U―23の大会にU―21代表で臨んできたパラグアイは、ほぼ10代の選手のチーム。ポルトガルもU―20代表。そのユース年代を相手に年長のU―23日本代表の方が、サッカーに対する知識の未熟さを見せていたのは問題だ。

ポイントを押さえた相手のボール狩りを恐れ、敵ゴールに背を向けて無意味なボール回しに終始したパラグアイ戦。「全部このゲームは後ろ向きにプレーした。姿勢がね」という手倉森監督の言葉は、正直な不満の表れだろう。そして、前半22分に1点をリードされながらもファーストシュートが同38分まで生まれなかったポルトガル戦。第1戦を落としている状況での、勝負にこだわらないこの消極的姿勢はあまりにもいただけない。

これは五輪代表に限ったことではない。日本のサッカーは「ゴールを守り、ゴールを奪う」という基本ともいえることを、時に失念している場合がある。サッカー先進民族が本能として身に付ける根本にある欲求。これを、後付けでもいいから2カ月で徹底しなければいけない。それはオーバーエイジを含めての問題。そうでなければブラジルの地で、日本は2年前と同じひどい目に合うだろう。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。