ことしの「Jリーグの日」は特別な1日だった。1993年5月15日の歴史的なリーグ開幕から23年後の5月15日、千葉市のフクダ電子アリーナはJ2の試合にもかかわらず1万4000人を超える観衆で埋まった。大地震の被害を受けたロアッソ熊本が約1カ月ぶりにリーグ戦の舞台に戻ってきたのだ。試合前と終了後、千葉サポーターは、かつてホームクラブで活躍した巻誠一郎はもちろん、相手クラブへの声援を惜しまなかった。熊本サポーターとエールを交換し、スタジアム全体に苦難にある熊本の復興を願うエネルギーが充満していた。

結果は0―2。熊本は勝てなかった。地震の影響で活動できず、全体練習再開からも十分な時間がなかったのだから無理もない。足を止めずボールに食らい付く姿勢は貫いたが、それでも後半は徐々に運動量が落ちた。前線で体を張り続けた巻も見せ場はつくれず「勝ち点1でも、熊本のみなさんに届けたかった」と、こみ上げる涙をこらえ切れなかった。

この試合の10日前、「こどもの日」に熊本を訪れる機会があった。日本代表のハリルホジッチ監督が被災地の激励に赴き、その様子を取材するためだ。監督は県庁を訪問後にスポーツ施設を回り、地元サッカークラブの少年少女と触れ合った。多くの小中学生と保護者たちを前にお見舞いや励ましの言葉を述べ、自身の戦争体験の話を交えながら「日本代表は被災地のことを忘れずに戦う。代表選手は、みな同じ気持ちだ。みなさんは一人ではない」と語りかけた。

会場には、地震後にさまざまな形で地域貢献しつつ、時間が許す限り子どもたちと一緒にサッカーを楽しむ活動を続ける熊本の選手たち、巻の姿もあった。「やっぱりうれしいですね。代表監督が来てくれて言葉を掛けてくれるだけでも子どもたちには大きな刺激になる」と感謝し、「この中にも家を失った子がたくさんいる。でも、サッカーをやっている時はすごいパワーを出して、笑ってくれる。子どもたちの笑顔のためなら、本当に頑張れる」と話してくれた。熊本出身の元日本代表FWは、千葉からロシアや中国のクラブ、東京Vを経て2年前から故郷のクラブでプレーを続けている。「このタイミングで自分が熊本にいることも不思議。まだまだ、これからが大変だし、この先どうしていいか分からなくて泣いている人もたくさんいる。そういうことを忘れないで、みなさんにも知ってほしい」と強く願った。

彼のように全国区の知名度があり、しかも地元出身の選手がロアッソに在籍していたことは、何かの運命かもしれない。巻がいることでクラブの発信力は間違いなく上がり、熊本の現状を訴え続ける役割を担える。地震直後から率先して支援に駆け回る巻に、ハリルホジッチ監督は声を掛けた。「人間的にも素晴らしい選手だということを知ることができた」。この時も、巻の目は赤く潤んでいた。

熊本の復帰戦のスタンドには懐かしい日本代表ユニホームを着たファンの姿も見受けられた。10年前のデザインで、背中には「MAKI」の文字。ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の代表にサプライズ選出され、一躍時の人となったのが2006年だ。当時のジーコ監督がメンバー発表会見で「マキ」の名を呼んだのも、5月15日だった。

山室 義高(やまむろ・よしたか)1975年生まれ。神奈川県横浜市出身。共同通信の名古屋、大阪両支社を経て2005年12月から東京運動部。主にサッカー担当でワールドカップ(W杯)は2002年から3大会連続で取材。