リオデジャネイロ五輪の代表選考会を兼ねた競泳の日本選手権はこのほど閉幕し、代表34人が出そろった。競泳の花形種目で、最速を決める戦いといわれる100メートル自由形は、男女とも個人で派遣標準記録(代表になるためにクリアする必要があるタイム)を突破した選手はおらず、世界との差がまだ大きいことを再認識させられた。陸上の100メートルと同様の盛り上がりを見せる100メートル自由形には、今のところリオ五輪に出場する日本人選手はいない。今後の競技会の結果によっては、変わるかもしれないが、男子100メートル自由形はロンドン五輪に続く出場選手ゼロという寂しい事態になる可能性が高い。

男子は世界との差が特に大きい。決勝では中村克(イトマン東進)が48秒25の日本記録をマークしたものの、世界記録にはまだ1秒以上も遅れている。100メートル自由形で1秒以上の差は、ほぼ体一つの差になる。いかにも遅い印象を与える。2020年東京五輪を控える日本は、この花形種目で遅れを取っている。世界のひのき舞台でメダル争いをするには、47秒台が最低条件だろう。東京五輪までの4年間で準決勝進出ラインが47秒台までレベルアップする可能性も十分あり得る。

萩野公介(東洋大)は2014年アジア大会の200メートル自由形で、ロンドン五輪400メートル自由形の金メダリスト、孫楊(中国)を退けて優勝している。孫は身長が2メートル近い選手で、萩野は自由形で指摘されがちな体格によるハンディを克服したといえる。200メートルとはいえ、自由形でのポテンシャルを示した。最速を競う100メートルでも日本選手に期待することは決して見当違いではないと思う。

ところで、世界で初めての50秒突破は1976年モントリオール五輪のジム・モンゴメリー(米国)だった。ここから世界の男子100メートル自由形は一気に高速化の時代を迎えた。日本でも何人もの選手が「50秒切り」を期待されたが、分厚い壁にはね返され続けた。ようやく突破したのは2005年。世界から29年遅れて当時日大1年の佐藤久佳が49秒73をマークした。

競泳をやっていた筆者の幼少期のスター選手は、1985年に世界で最初の48秒台を記録したマット・ビオンディ(米国)だった。その後も記録を更新し、1994年にアレクサンドル・ポポフ(ロシア)に破られるまで世界記録保持者であり続けた。自由形短距離が得意でなかった筆者に、ビオンディは羨望の的だった。

五輪の歴史をたどると、1932年ロサンゼルス五輪で宮崎康二が100メートル自由形で金メダルを獲得している。時代背景が違い、一概に同様の活躍を求めるわけにもいかないが、2020年東京五輪に向けて、今回の日本選手権の結果は残念というしかない。競泳の花形種目で日本選手が世界としのぎを削るということは、少年少女スイマーに夢を与えることにもなるからだ。

榎元 竜二(えのもと・りゅうじ)1979年生まれ。埼玉県出身。2002年共同通信入社。水戸支局や本社スポーツデータ部などを経て12年から大阪運動部。15年から本社運動部で水泳、サッカー、相撲などを担当。