野球ファンなら懐かしい響きの「法政三羽がらす」。およそ50年前の1965~68年に、法大の主軸として神宮球場を沸かせた田淵幸一、山本浩二、富田勝の3氏のことを指す。

同期の明大に星野仙一氏がいた。彼らはそれぞれドラフト1位で阪神(田淵)広島(山本)南海(現ソフトバンク、富田)中日(星野)に入団して、その後のプロ野球を支えた。そのうちの一人、富田氏が5月26日に68歳で亡くなった。

▽「セミ・プロ集団」

大阪出身の富田氏は他の3氏ほど強烈な個性の持ち主ではなく、あまり勝負にこだわらない性格で、いつもニコニコしていた。大雑把な性格が当時の野村克也監督に嫌われ、南海に4年いただけで巨人にトレードされた。

日本ハム、中日など13年間の選手生活で1087安打、107本塁打の数字を残した。そんな富田氏を見ていていつも思ったのは「法大野球部」という存在だった。

今春優勝した早大に並ばれたが、リーグ戦で44度の最多優勝を誇り、3度の4連覇とりわけ76年からはいずれも勝ち点5の完全優勝という離れ業。全日本大学選手権では8度と一番多く頂点に立っている。

常勝のイメージだが、それ以上に感じるのは早慶や明大とは異質の「セミ・プロ集団」という印象なのだ。

▽日本球界を牽引

「法政三羽がらす」の前には苅田久徳、若林忠志、鶴岡一人や関根潤三氏らがおり、後には江川卓、小早川毅彦、稲葉篤紀氏らがいた。

これまで140人を超す、1大学として最多のプロ野球選手を送り出してきた。もちろんプロばかりではない。

中でも三羽がらすの1学年下で、六大学最多記録の通算48勝(江川氏は47勝)を挙げた山中正竹氏は、先輩の松永怜一氏の後を追うようにアマ球界一筋で、母校監督はもとより五輪チームを率いた。法大の日本球界への貢献度は実に大きい。

そんな法大が94連敗中の東大に白星を献上して、今春の大学野球に大きな話題を提供した。昨年秋まで3季連続5位と低迷していて、チーム再建の途上ではあるのだが、その敗戦に六大学野球の名門の苦戦する姿を見る。

▽東大戦黒星は7年ぶり

法大が東大に負けるのは7年ぶり。勝負事だから負けることはあるが、その負け方が問題だった。

5年前の秋、早大が35連敗中だった東大に敗れたが、斎藤(現日本ハム)大石(現西武)福井(現広島)らの強力投手陣を擁するチームで、早大がなめてかかって足をすくわれた。現に早大はこの秋、リーグ戦に続いて明治神宮大会を制している。

4―6で敗れた法大はミスに次ぐミスの連続で完全に浮き足立っていた。東大からすれば「勝ちに不思議な勝ちあり」といった類の勝利だった。

法大にはこの時点でわずかながら優勝の可能性があったのだが、「どうしても勝つのだ」という必死さがなかった。「そう思われたのなら、それが今のチームの限界」と青木久典新監督は言うしかない。

▽創部100周年

12年秋に44度目の優勝をしたのに、チーム内のごたごたから金光興二監督が更迭されてしまう。神長英一監督の新生法大は開幕9連勝でいきなり優勝に王手をかけながら、明大に連敗して優勝をさらわれた。

9勝2敗(1分け)勝ち点4の法大が10勝4敗、勝ち点5の明大に、勝率で上回りながら勝ち点で及ばないという珍しい結果で敗れた。その神長監督も創部100周年を迎える今年を前に交代となった。

法大は、かつてのように有望選手ばかりを集められているわけではない。野球に限らず、スポーツに力を入れる新興大学の出現で、いい選手が分散する傾向にある。勢力図が変わって来ているのが今の大学スポーツの特徴でもある。

さらに言えば、強い大学野球部には優に100人を超す部員がいる。「プロでもなければ高校球児でもない」大学野球部員の扱いは難しい。法大野球部もそういう諸問題に直面しているのだろうか。

6月8日から始まる全日本大学野球選手権もこうした視点から見ると面白い。関東の大学が強く関西以西の地盤沈下が著しい「東高西低」の傾向は否定できないが、最近はどこが優勝するか分からない楽しみもある。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆