指導者が嫌う言葉の一つに「朝令暮改」がある。一度下した決定を何らかの事情で覆す場合はあるのだが、周囲の評価は「考えがふらふらしていて優柔不断な人間」となるのである。

今シーズン、一塁手にコンバートされた巨人の阿部が開幕直後に再び捕手に戻った。当然、原監督に厳しい評価が向けられているが、私はある人の言葉を懐かしく思い出した。

▽根本語録

西武やダイエー(現ソフトバンク)でチームづくりの手腕を発揮し「GMの先駆け」として野球殿堂入りした根本陸夫氏である。亡くなって16年経つ。

つい先日、根本氏が眠る東京・お茶の水のニコライ堂に家族とともにお参りしたばかりだった。

根本氏が口にしたのは「朝令暮改のすすめ」。もちろん、考え、方針をしょっちゅう変えていい、と言っているのではない。自分が間違っていると気づいたり、事情の変化で大ピンチに遭遇したときは組織を守るために自分の考えや自分の立場を捨てよ、と言ったのである。ユニークなことで知られる「根本語録」に一つなのだ。

▽99パーセント

さて、阿部を見ていると不慣れな一塁手より居心地がよさそうなのである。

原監督の今季の構想では2年目小林とヤクルトからFAで獲得したベテランの相川で捕手を固める予定だったが、相川が開幕直後に右足の大けがで戦列離脱し、急きょ捕手に戻した阿部が右足を肉離れ。阿部は5月13日の広島戦から捕手で復帰したばかりである。

原監督は今キャンプの段階で「阿部を負担の少ない一塁手にコンバートする。捕手での起用は99パーセントない」と語り、大きな話題を振りまいた。

けがというアクシデントや「残り1パーセントの可能性」は言っていたのだから、原監督の“朝令暮改"は批難されるものではない。ただ「99パーセント」と言い切る必要はなかったのではないかと思った。「阿部とよく話し合っての一塁手転向」の結論も、今の阿部の起用ぶりを見ていると、不動の決断だったかと思ってしまう。

▽2年連続ゴールデン・グラブ賞

もう一つは、守備だけを評価するゴールデン・グラブ賞に、阿部は捕手で昨年まで2年連続受賞(通算4度)していたことも多少引っかかる。ここ数年の阿部の守備に「?」が付けられることが多かったと感じていて、私はこの受賞に首をかしげていた。

なにより原監督がコンバートを考えた第一の理由ではなかったか。

『古巣』での阿部のプレーぶりは安心感を与えるものだが、今後は当初の予定通りに一塁を守ることは多くなると思う。捕手の重労働と試合を左右する肩の重要性を考慮すれば当然のことだろう。

また、いつまでも阿部に頼るようでは、本当に原監督の構想が根底から崩れることになる。

▽天才打者・田淵

阿部を見ていると田淵幸一氏を思い出す。法大時代、通算22本塁打で東京六大学の記録を打ち立て鳴り物入りで阪神に入団した天才打者で、1975年には43本で王貞治氏の14年連続本塁打王を阻止したこともある。

東京で生まれ育った田淵氏の希望は巨人入りだったが、ついに巨人のユニホームを着ることはなかった。ダイエーなどで監督を務め、山本浩二(法大)星野仙一(明大)両氏と同期でもう68歳になる。

プロ入り当初の田淵氏は186センチの細身の長身捕手。1969年春、甲子園球場での自主トレ初日に姿を現した田淵氏を初めて見たときは、それまでの捕手像を覆すスマートさに驚かされた。

貴公子然としスター性を持った大型新人として人気抜群だった。2年目の広島戦で死球を左こめかみに受ける大けが。さらにじん臓病を患ったりし太ってしまった。

捕手は野村克也氏に代表される頭脳派のイメージが強いが、田淵氏や阿部は「捕手は投手をリードするというより球の受け手」と割り切っているのではないかと思っている。

田淵氏から「投手とのサインが違った球種が来ても受けて見せる。それが捕手」と聞いたことがある。投球を組み立てて投げて来る投手の「女房役」に徹する。自分に求められているチームでの役割は打力での貢献というわけだ。

田淵氏が阪神から移籍した西武で打者として再起し日本一を2度味わった「再起への努力物語り」はまたの機会に譲るが、通算474本塁打は歴代11番目の本数ながら、希代のホームラン打者だったのは間違いない。

先日、神宮球場でヤクルト―阪神の試合前練習を見ていた。かつての田淵氏のように、高い放物線を描いて、それこそ立て続けにスタンド入りさせるような光景は見られなかった。

その点、田淵氏や王氏の試合前打撃練習は「お金を払って」でも見る価値があった。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆