昨年暮れに、長く担当してきたプロ野球を離れることになった。今は卓球やラグビーなど複数の競技を受け持ち、日々違う現場へと向かっている。毎年2月はプロ野球ではキャンプの時期で、春の訪れが早い宮崎や沖縄にいた。それを考えると、私にとって今年の冬は結構長かった。1日の過ごし方も、1年間のスケジュールも大きく変わった。スコアブックとプロ野球選手名鑑が入っていたカバンの中身も整理した。心機一転、担当競技のルールから学んでいる。

木々の緑も深まった4月下旬から、卓球の世界選手権個人戦の取材で中国・蘇州に行った。多くの試合が11点制の7ゲーム(4ゲーム先取)で争われる卓球は、ほとんどの場合1試合が1時間以内で終わる。スピーディーな展開はスポーツの中でも屈指だろう。プロ野球は3時間超えの試合が多かったから、大きな違いだ。駆け出しの卓球記者として、気付いたことを挙げてみたい。

驚かされたのは、選手たちのタフさだ。試合時間が短いから、1日に何試合もプレーする。シングルスの後にダブルスを戦うことは普通のこと。今大会の石川佳純(全農)も、シングルス3回戦で敗れた後に混合ダブルス準決勝が組まれていた。だが、石川はそれに勝って決勝進出を決め、混合ダブルスで日本勢38年ぶりの銀メダルを獲得。「すごく悔しかったけど、混合で決勝に絶対に進みたいと思っていたので、全力で準備することができた」と胸を張った。体力だけでなく、精神的に強くなくては世界では戦っていけないのだ。

卓球台を離れても選手たちはたくましい。毎週のように行われる国際大会出場のために10代の時から世界中を飛び回っているから旅慣れている。語学も鍛えられる。福原愛(ANA)や石川は流ちょうに中国語を話し、地元メディアの取材に中国語で応じていた。中学3年の14歳で初出場した伊藤美誠(スターツ)で感心したのは英語だ。学校に行く時間がないほど遠征ばかりの生活だから、教科書からではなく耳から学ぶのだろう。片言ながら海外の取材者と英語でやりとりしていた。女子のホープはシングルスでベスト8に進出し、準々決勝ではロンドン五輪金メダルの李暁霞(中国)から2ゲームを先取して苦しめるなど大躍進の大会だった。「楽しい1週間だった。1回目だったから緊張もなくて向かっていけた」と頼もしかった。

やはり、忘れてはならないのは、中国勢の圧倒的な強さだ。シングルスは男女ともにベスト4を独占。1月の全日本選手権を制した日本のエース、水谷隼(ビーコン・ラボ)と石川も、悔しいが中国選手には歯が立たなかった。男子シングルス決勝で、世界ランキング1位の馬龍と同14位の伏兵、方博が見せた迫力あるドライブの打ち合いは、まるで別のスポーツだった。「蘇州夜曲」で知られる土地の魅力を十分に味わうこともなく、大会中は選手同様に私も卓球漬けの毎日だった。「打倒中国」の道のりは相当に険しいと痛感したからこそ、五輪や世界選手権という大舞台で、日本選手が中国選手に勝つ姿を見たいという気持ちも一層強まった。

小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京都出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京で巨人などを担当。15年からは卓球やラグビーなどをカバーしている。