イングランドやイタリアでも、大きな驚きを持って報道されているようだ。サッカーに造詣が深いこれらの国の人々は、この競技の過酷さをよく分かっている。だからこそ、48歳のカズこと三浦知良(横浜FC)が成し遂げた偉業を絶賛するのだろう。

5日、花散らしの雨が降る横浜・ニッパツ三ツ沢球技場。首位の磐田をホームに迎えた一戦にFWで先発出場したカズは、前半に先制点を挙げ、自身のJ2最年長得点記録を518日ぶりに更新した。48歳1カ月10日でのゴールという「新たな勲章」を自ら破ることはあっても、他の選手が上回れるとは思えない。それほどまでに偉大な記録であり、歴史的にも世界サッカー遺産級の快挙だ。

敵将の名波浩監督も「素晴らしい」とたたえたように見事なヘディングシュートだった。試合開始14分、右サイドを突破したMF小池純輝がクロスを入れた瞬間、マークする磐田DF桜内渚の視界から逃れるように背後に回り込むと、なおも競り合う桜内を頭一つ抜いた。打点の高いヘッドは、GKカミンスキーの頭上をブチ抜いた。

結果として、このゴールは勝利に結びつかなかった。2点をリードするも3点を許しての逆転負け。結果を受けたカズは反省の弁に続けて、こう語った。

「ピッチに立つだけで満足してはいけない。常にいいプレーをしてチームの役に立ちたい」

48歳にしてこの言葉を言える向上心が、生活のすべてをサッカーにささげる恐るべきストイックさにつながっているのだろう。

今季もカズはプロとしてピッチで戦っている。日本の人々はその姿を当然のように受け入れている。冷静に考えれば、それは異常なことだ。

彼は名声に胡坐をかいた、ゴール前で待ち構えるだけの“キング"ではない。ピンチになれば自陣に戻り、必死で守備もする。だから、ミロシュ・ルス監督は今季6試合中4試合で先発起用しているのだろう。この日、マッチアップしたのは昨年のW杯メンバー伊野波雅彦。それと伍して戦う48歳がいるという事実そのものが「奇跡」だ。そして、幸せなことに、横浜FCの試合に足を運べば、「奇跡」を目撃するチャンスがあるのだ。

トレーニング理論の進化にメディカル面の発達が相まって、アスリートの選手寿命は近年、確実に伸びた。とはいえ、ボールを巡る競走に加え、コンタクトプレーで地面にたたきつけられることも多いサッカーで40歳代後半の選手がプロとしてプレーしているのは、生物学的に見ても信じられないことだ。

世界のサッカー史を振り返れば、50歳近くまでプレーしたプロ選手がいないわけではない。50歳で試合に出たスタンリー・マシューズはあまりにも有名だ。

現在のドリブルの基本技術となる、内側に入ると見せかけてアウトサイドでボールを持ち出してDFを抜き去る技術。マシューズ・トリックと呼ばれたフェイントで「ドリブルの魔術師」との異名を取った元イングランド代表は、奇しくもカズと同じ48歳でプロとして最後のゴールを挙げている。そして1965年2月6日、50歳の誕生日から5日後のフラム戦でスパイクを壁に掛けた。

ただ、現在とは時代が違う。マシューズが活躍した当時のイングランドで主流のフォーメーションは「WM」。現代風に言えば3―5―2だ。5人のアタッカーに対し守備側は3人。右ウイングのマシューズに対してのマークは現在と比べると甘かった。それを考えれば、常に相手DFの標的とされるカズはより困難な状況でプレーをしているといえる。

マシューズは現役最後の年に英国王室からナイトの称号である「サー」の栄誉を与えられた。それを考えれば、カズに国民栄誉賞が与えられても不思議はない。個人的には人間国宝だと思っているのだが。

初めて会ったのは30年以上前。カズが16歳か17歳のときだった。プロを目指し修行を積むブラジルから一時帰国した際に食事をした記憶がある。当時の印象は、ラテン系のノリの明るい若者だけ。偉大な選手になるとは、つゆほどにも思わなかった。

それにしても幸運にも素晴らしい場面に居合わせた。三ツ沢で目撃した久々のカズ・ダンス。最後の「決め」で腕が真上に上がらなかったのだが。そのことに対して、カズは当時と同じユーモアに満ちた言葉を発した。

「肩が痛いんだよね。五十肩かな…」(笑)

ただし、ジョークの中身は確実に時の流れを感じさせた。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。