F1の今季開幕戦オーストラリアGPが終わった。コンビを組んで1年目の1988年に16戦15勝というとんでもない記録を刻んだ“セナ・プロ"時代を知るファンの多くが、その再来を期待した新生マクラーレン・ホンダ。デビュー戦は予選最下位(ジェンソン・バトン17番手、ケビン・マグヌセン18番手)、決勝では完走した中で最下位(バトン11位、マグヌセン決勝未出走)という、なんともほろ苦い結果に終わった。

原因はいろいろと言われているが、2008年のF1撤退から7年間のブランクをいきなり埋めるというのは、いかにレース経験が豊富なホンダであってもやはり容易ではないということだろう。

さらに、これまでのF1参戦経歴を振り返ると、ホンダは初戦で苦しんでいることが分かる。オールホンダで初参戦した1964年ドイツGPは予選22番手(予選通過23台)。決勝はアクシデントが起き、11周でリタイアした。エンジンコンストラクターとして参戦した83年からの第2期初戦となったイギリスGPは予選14番手(予選通過26台)で、決勝は燃料ポンプの不調によりわずか5周でリタイアしてしまった。

例外だったのが、オールホンダでの参戦を目指して約2年間準備しつつも、直前にシャシー開発も協力するエンジンコンストラクターとして参戦することになった2000年からの第3期。初戦オーストラリアGPは予選8番手と16番手(22台中)で、決勝は4位と6位と見事、入賞を果たした。

第3期に競争力ある状態で挑めたのには秘密がある。というのも、ホンダは1992年に第2期の活動を終えたが、最終年となった92年から第3期初年度の2000年まで、ホンダの創業者・本田宗一郎の長男、博俊が設立した、チューニングパーツの製造などを通じてホンダのモータースポーツ活動を支える「無限」(現M―TEC社)がエンジンコンストラクターとして活動していたのだ。つまり、無限を通じてF1の技術レベルはつねに把握できる環境にあった。一方、第3期はチームを売却する完全撤退だった。戦いの場に何かしらの形で関わっているのと、完全に外部から挑戦するのでは、そのハードルの高さが随分と違うことは想像に難しくない。

今回と同様、白紙から始まった第1期と第2期はそれぞれ初勝利まで約1年を要した。第4期での初優勝がいつになるか気になるが、大出力のハイブリッド技術の導入などF1で用いる技術は、この7年間で劇的に変化している。その分、ライバルたちとの技術差が大きいのも事実だが、相手との力の差が分かれば目標も立てやすくなる。ホンダがシーズン前半にどのような進化を見せていくのか、まずはそこに注目したい。(モータージャーナリスト・田口浩次)