周囲が無理だと思える目標を掲げることで自分を奮い立たせる。日本ハム・大谷が花巻東高に入学し「高校で初の球速160キロを投げる」ことを目標にし、それを実現したのはよく知られた話である。

その大谷が描くのが「球速170キロ」だそうだ。「誰しもが無理だと思う。でも速球は僕の持ち味で一番の長所なので、目指す価値はある」

こう話す大谷だが、この「夢の快速球」を目指すことで、自分の速球に磨きをかけようとしていると受け取るべきだと思う。

プロ2年目の昨年、日本人最速となる162キロをマークしたが、以前のように球速にだけ固執しなくなったともいわれている。

160キロの球でも打者は当ててくるし、三振を多く取るなら緩急を付けた投球が欠かせないからだ。年間を通して活躍できる必須条件にもなる。

大谷は天性の体付きをしていて、193センチの長身ながら球を離すポイントがもっと小柄な投手のように打者寄りと遅く、その分打ちづらく球威が落ちない。

▽シーズン401奪三振

プロ野球の奪三振シーズン記録は阪神・江夏の401個である。大阪学院大高からプロ入りした江夏は、2年目の1968年にこの記録をマークした。

日本ハムの先輩でもあるし、大谷はその投球術をビデオなどで見ていると思うが、150キロ後半の速球とカーブなど少ない球種ながら高低、コースに投げ分けていた。

なにより低めへの速球は「伸びる」と形容されたのはリリースポイントが遅く、初速と終速のスピードがあまり変わらなかったからだろう。

オールスター戦の9人連続三振や広島時代の対近鉄日本シリーズでの「江夏の21球」など、数々の伝説で語り継がれている名投手だった。

阪神時代の1973年の中日戦では延長11回、自らのサヨナラ本塁打で1―0のノーヒットノーランを達成した。打撃もよかった江夏でも想像できなかったことをやっているのが大谷の本格的な「二刀流」挑戦であろう。

▽夢への道しるべ

大谷が二刀流をやろうと思ったきっかけは、日本ハムとの入団交渉時だったと想像する。高校からいきなりメジャー入りを目指すと公言したが、果敢にドラフト1位指名した日本ハムが「夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出考察~」という資料をわざわざ作って大谷の日本球界入りを説得した。

交渉中に問われたかもしれない。「僕を投手と打者のどちらで評価しているのか」と。スカウトの評価は両方とも特Aランク。そこから二刀流の流れができたと思われる。入団の条件に入っていて、単なる思い付きの挑戦ではなかったのである。

ただ、大谷の二刀流はいろいろな好条件が重なった結果だといえる。

メジャーではなく日本プロ野球であり、パ・リーグや日本ハム球団、そして栗山監督という理解者などがそろわなければ、たぶん実現していなかっただろう。日本ハムが首位として優勝争いをしていないことも、皮肉なことだが大谷にとって幸いだった。

▽今や球界一の注目度

大谷の二刀流に対して、野村克也氏のように「プロ野球も舐められたものだ」という声は相変わらずある。しかし、2年間の実績と本人の本気度にそうした批判は少なくなっている。その挑戦に注目するファンが増えている。

1年目は投手として13試合に投げ3勝、46奪三振、打者としては77試合に出場して45安打、3本塁打。

2年目は24試合に全先発し11勝4敗、179奪三振、打は86試合で58安打、10本塁打。打席数が少ないのは投手として投げる前後は休ませているからであるが、それでも着実に成績を伸ばしているのがよく分かる。

大谷の今季の年俸は1億円(推定、以下同じ)。高卒3年目で大台の乗ったのは西武・松坂(現ソフトバンク)以来となる。

同年代の新成人から見れば、夢のようなお金であるが、今や日本球界も4、5億円の年俸を稼ぐ選手もいる。

同じ3年目の阪神・藤浪も8500万円だったし、大谷が出場する試合はお客さんが入るのだから当然だろう。なにより、大谷は今や球界で一番注目を集めている選手なのだから。

私が注目するのは、打者としての試合数がどこまで増えるか。プロとして体ができれば試合数は増え、シーズンを通して働ければ持ち前の長打力から本塁打も25本以上は期待できる。「15勝、30発」なら一流選手のそれだ。

高校野球の元監督だった友人がこんなことを言った。「大谷にしても藤浪にしても右投手でよかった。日本で長身の左投手が大成した例は少ないからね」。大谷に関して、そんな見方もあるのかと感心させられた。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆