2009年の終わりから柔道を担当している。世界選手権は10年の東京、11年のパリ、13年のリオデジャネイロ、そして今夏のチェリャビンスク(ロシア)の計4大会を取材し、2年前のロンドン五輪も見させてもらった。開催都市の風土やお国柄、出場する選手層などはさまざまで毎回新たな発見があるが、どのビッグイベントにも一貫して揺るがないことがある。それは、男子重量級の熱気だ。

五輪の柔道は男子60キロ級の野村忠宏、女子48キロ級の田村亮子が同時金メダルで日本列島を大きく沸かせた00年シドニー大会以降、男女とも最軽量級から第1日が始まる日程が定着した。1日ごとに階級が一つずつ上がり、7日目の最終日に最も重い「超級」で締めくくられる。私が現場で見た世界選手権も無差別級を実施した東京大会を除けば同様だった。ただ最近の日本代表、特に男子は第3日までの軽量級でメダルラッシュが一段落する傾向が定番となっている。昨年の世界選手権が象徴的で、開幕から3日連続の世界制覇。だが残り4日間は1人も表彰台に立てなかった。日本男子史上初の金メダルゼロと惨敗したロンドン五輪に比べれば上々といえるものの、世界中の大男たちが一堂に会する100キロ級の第6日、個人最終戦である100キロ超級の第7日に早々と敗れ去る日本勢を見ると、やるせない寂しさ、やり切れない悔しさが何度も込み上げてくる。

宿舎から会場に到着し、記者席に座る。最初の試合開始を告げるブザーが鳴る頃、第5日までとは全く異質、異様な熱気が場内を包む。軽量級では空席が目立つ午前中のスタンドも、ラスト2日間は既にほぼ満員。特に柔道世界一決定戦ともいえる100キロ超級ともなると、会場にいる外国人の目が血走っている。グルジアなどの旧ソ連勢や東欧勢のチーム関係者などは、拡声器を隠し持っているのかと言いたくなるほどの大声で試合中から叫びまくる。この瞬間、「ついに本番が始まったな」と感じる。ロンドン五輪もそうだった。柔道会場に向かうシャトルバスも出だしの3日間はゆったり座れて快適だったが、第4日からは徐々に混み始め、重量級の2日間はぎゅうぎゅう詰めで、海外のメディアやチームの関係者から数々の言語が飛び交う。表情は既に興奮状態で、こちらも引き込まれたほどだ。ちなみに日本は2日間とも2回戦敗退。私はひしめく他国記者に何となく遠慮しながら取材ゾーンを早々に引き揚げた。

なぜそこまで柔道男子重量級は周囲を魅了するのか。7年連続大学日本一のチームを率い、理論派で知られる東海大の上水研一朗監督の口調も自然と熱を帯びる。「男ならば闘う。世界共通の概念でしょう。モンゴル相撲やグルジアのチタオバ、ブラジルの柔術など、各国・地域ならではの格闘技がある。男子100キロ超級はその格闘技の強豪たちが頂点を目指して集まり、誰が一番強いのかを柔道という競技の枠でシンプルに争うのだから面白い。純粋に柔道で勝負をする日本勢は大変だと思う」。男子最重量級は柔道世界一決定戦ではなく、「格闘技世界最強決定戦」と言っても良さそうだ。だからこそ、今夏の世界選手権決勝で敗れながら、当時5連覇中のテディ・リネール(フランス)に大善戦した七戸龍(九州電力)の試合中は、記者席で自分の体が興奮で何度も揺さぶられた。

12月7日にグランドスラム東京大会が終了し、柔道界の1年が幕を閉じた。日本男子は100キロ級の4人全員に加え、100キロ超級の七戸までもがメダルを逃した。大勢の報道陣に囲まれ「惨敗。悔しい」「私の力不足」「申し訳ない」と何度も謝ったのが、井上康生監督と重量級担当の鈴木桂治コーチ。五輪、世界選手権の重量級をともに制し、世界をうならせ、世界に君臨した日本の両雄が怒りをにじませた。一方、肝心の選手たちは淡々と敗因を述べるだけで、この温度差はもどかしかった。上水監督の言葉通り、日本柔道を取り巻く状況からすれば、1勝するのも至難の業だということは分かっている。ただ外国勢に負けじと殺気を漂わせ「男ならば闘う」という気概だけは感じさせてほしい。五輪を1年後に控えた来年の世界選手権重量級は、さらにヒートアップするだろう。お家芸の誇りに懸け、熱狂の渦の中で燃えたぎる日本代表がいるのなら、私も一緒にしびれたい。柔道競技発祥国の記者として、現場で肩身の狭い思いをするのはかなりの屈辱なのだ。

田井 弘幸(たい・ひろゆき)1973年生まれ。大阪府出身。96年に共同通信入社。大相撲担当からプロ野球の阪神、中日担当を経て、2002年から大相撲、09年からは柔道も担当。