プロ野球にとって、秋は別れの季節だ。セ・リーグ3連覇を達成した巨人も例外ではない。このオフ、15年目の高木康成投手も戦力外通告を受けた。昨年左肩を手術し、今季は1軍の試合には出場できない育成選手として契約していた。背番号も13から、育成選手が付ける3桁番号の001へと変わっていた。懸命にリハビリに励んでいたが、再びマウンドに戻る夢はかなわなかった。「朝起きて、肩の心配をしなくてもう済むんだよ」。10月のある日。現役引退を決め、練習施設のある川崎市のジャイアンツ球場に荷物整理で訪れていた時に見せた、ほっとしたような表情が忘れられない。

2012年の12月に私が巨人担当となった時、選手名鑑を眺めながら高木が同学年で同じ3月生まれと知って親近感が湧いた。この年の契約更改では、40試合に登板して防御率1・44をマークして優勝に貢献したことが評価され、1500万円アップの推定年俸4800万円と大幅増となった。決してスターではなく、普段は表舞台に立つことの少ない中継ぎ投手。うれしそうな、でも照れくさそうな、はにかんだ笑顔で取材を受けていたことが思い出される。

高木は今では数少なくなった、近鉄に在籍したことのある選手の1人でもある。2000年にドラフト2位で静岡高からプロ入り。近鉄には04年までで、05年からはオリックスの所属だ。2004年は「球界再編」として知られる年。高木も球団合併のあおりを受け、分配ドラフトでオリックスへと移籍したのだ。

私は球界再編の翌年の2005年に入社し、さらにその翌年からプロ野球取材に携わり始めた。嵐の名残が色濃く残り、第2、第3の波が起こりそうな空気が漂っていた。新たに誕生した楽天はまだまだ弱かった。その球界再編から10年。遠のいていくばかりの近鉄に寂しさを感じる一方で、なお球場に毎日人々を集めるプロ野球の底力に、あらためて感心している。

11月。東京ドームで行われたファン感謝イベントで、高木はオフにもかかわらずスタンドを埋めた大観衆を前に「近鉄、オリックス、巨人と渡り歩いてきたことは、大変勉強になり、人生の財産でもある」と言って感謝の言葉を並べた。球団史上一度も日本一に輝くことのないまま消滅した近鉄球団出身の高木が、プロ野球で最も古い歴史を誇る巨人に移籍し、日本一を経験したのも何かの縁だろう。誠実な人柄でチームメートから慕われ、引退後はチームスタッフとして球団に残ることも決まった。激動の年月をプロ野球選手としてたくましく生きてきた、高木の再出発を心から祝いたい。

小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京でヤクルトに続き巨人を担当。