米国にある国際ボクシング殿堂は12月4日、本年度の殿堂入り表彰者を発表、日本からは具志堅用高氏、故大場政夫氏の2人が選ばれた。

過去、日本人では3人が殿堂入りしているが、ボクサーではファイティング原田氏のみ。それだけに今回の同時受賞はうれしいばかり。両雄が刻んだ拳の歴史は、今なお伝説として語り継がれている。

具志堅氏は「100年に1人の男」と呼ばれた天才サウスポー。沖縄・興南高校時代から将来の世界チャンピオン候補として大きな期待をかけられていた。

デビュー当初はフライ級。体の小さい具志堅氏は真価を発揮できなかったが、1階級下にライトフライ級が新設され、“水を得た魚"は大きな飛躍を遂げる。

バランスの取れたスタンスから繰り出すコンビネーションは抜群。チャンピオンへの道を快走する。

1976年10月、世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王者フアン・グスマン(ドミニカ)に初挑戦した。グスマンは“リトルフォアマン"と称された強打者で、予想は具志堅氏に苦しいものだった。しかし、実力王者を相手に堂々と闘い、見事な7回KO勝ちで頂点に駆け上った。

防衛戦では回数を重ねる度に安定感を増し、日本最多の13連続防衛を記録した。スピード、テクニック、パワーに加え、戦略的なうまさも秀でていた。日本が生んだ世界王者の中でも出色の存在である。

大場氏は具志堅氏とは違い、ハングリーボクサーを地で行く根性の男だ。

貧しさからの脱出を求めてボクシングを始め、66年プロデビュー。69年にはノンタイトル戦ながら日本、東洋、世界の現役王者をことごとく撃破。70年10月、WBAフライ級王座に挑み、13回KO勝ちで念願のベルトを手にした。

まぶしいほどの輝きがあり、気性の激しいスリリングなファイトがファンを魅了した。

意外なほど打たれ弱い面もあったが、ダウンを喫しても最後には必ずKOでタイトルを死守した。

打たれたら打ち返す。どのような窮地に追い込まれても立ち向かう姿は“逆転の貴公子"と呼ばれ、時代の寵児となった。

しかし73年1月、5度目の防衛に成功した23日後、自動車事故で急逝、ボクシング界が受けたショックは計り知れなかった。

それから40年以上の歳月が流れた後の朗報。天国の大場さんに「あなたの不屈のファイトが殿堂に入りました。おめでとうございます」と伝えたい。(津江章二)