8年ぶりの開催となった日米野球が11月12日、大阪で開幕。2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での王座奪還を目指す小久保裕紀監督の「侍ジャパン」が2―0で勝った。

この日本代表チームの事業を推進するための株式会社「NPBエンタープライズ」は日本野球機構(NPB)と12球団が出資してつくられたもので、プロ野球12球団が一つになって収益事業に乗り出すのは初めて。日本のプロ野球は80年間、チームごとの「チームビジネス」として運営されてきた。

しかし、長期的に見て、プロ野球人気が低落傾向にある中、リーグ全体の儲けを増やそうとする共存共栄のメジャーリーグ型の「リーグビジネス」を求める声はパの経営者を中心に大きくなっている。

すでにパは共通の事業会社を持っている。かつてのように大きく開いていたセとパの人気の格差が縮まっている力関係の球界で、この「NPBエンタープライズ」がどんな事業を展開して、野球人気を回復させるかが注目される。

収益の問題だけではない。世界戦略と不可分のこうした取り組みで、プロ野球のブランド力を高めることが、メジャー志向の若い選手の心を日本に向けさせることにもつながる。

▽活発化する日米の選手交流

1年前は田中将大のメジャー行きで大騒ぎになっていた。今年もオリックス投手の金子と阪神内野手の鳥谷のメジャー挑戦が話題になっている。

一方、今年のソフトバンクと阪神の日本シリーズでは、ソフトバンクの五十嵐や阪神の福留、西岡らのメジャー経験者の対決も見られた。

すでに多くの日本人メジャー選手が日本球界に戻ってプレーしており、このオフも球界では前西武の中島の争奪戦が展開されている。メジャーへ行くだけの時代から大きく変わってきたのである。

▽マッシー旋風

今年は日本人大リーガーが誕生してちょうど50年に当たる。現在のメジャー行きの先鞭をつけたのは野茂英雄投手だが、その野茂から遡ること30年、1964年9月1日に日本人大リーガー第1号の村上雅則投手が初めてメジャーのマウンドに立った。

ニューヨークでのメッツ戦。いまなら大騒ぎになるところだったが、日本はアジアで初の東京オリンピック開催を翌年の10月に控えていて、それほど大きく取り上げられることはなかった。

神奈川・法政二高から南海(現ソフトバンク)に入団した村上は、プロ入り2年目の64年にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aに野球留学。8月31日に突然、メジャー昇格を告げられ翌日には登板したという、まさに驚きのメジャーリーガー誕生物語であった。

その年は9試合に投げ1勝1セーブ。翌年は先発1試合を含め45試合に登板し4勝8セーブをマーク。日本人の若き左腕投手の活躍に日系人が多く住むサンフランシスコで「マッシー(雅則)人気」が高まった。

こうした活躍に危機感を募らせた南海が日本復帰を主張したことで、村上の保有権をめぐり日米両球団の争いとなった。当時の内村祐之コミッショナーが、65年3月に解決への私案を送っている。

「65年度は米球団で契約を果たし、66年以降は日本の球団の保有権を認める」という内容で、4月末に米国側から「内村案」を認める回答が届いた。

▽日本プロ野球はもっと実力を

当時は日本が米国選手を獲得することが全てで、日米間で契約トラブルが絶えなかった。しかし「村上問題」の2年ほど前に「日米プロ野球球団が、互いに相手国の選手と契約する場合は、事前に両国コミッショナーの了解によって行うべき」との合意がなされ、それが村上問題の早期解決に結び付いていた。

ただ、こうした「紳士協定」はその後も生き続け、2008年の田沢純一のレッドソックス入りでも問題にされた。

日米親善野球は、日本プロ野球と重なる80年の歴史を持っている。なのに、日本と米国プロ野球は近くて遠い関係と表現したくなる。

両国のコミッショナーの関係もよく分からない時があるが、少なくとも「対等な関係」には映らない。日本プロ野球がもっと実力をつけることが先決ではないだろうか。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆