1964年東京五輪の開会式から50年を迎えた10月10日、2020年東京五輪・パラリンピックの新たなビジョンの骨子が発表された。招致段階で掲げた「Discover Tomorrow ~未来(あした)をつかもう~」というスローガンを具体化するものとして、新たなビジョンの骨子「スポーツには、世界と未来を変える力がある。1964年、日本は変わった。2020年、世界を変えよう」が打ち出された。

この骨子の基本コンセプトとして「すべての人が自己ベストを目指そう」「一人ひとりが互いを認め合おう」「そして、未来につなげよう」の3項目も出た。「スローガン」「ビジョン」「骨子」「コンセプト」…。さらに「ビジョンの骨子の要約」というものもあった。節目の日のイベントの中で、2度目の東京五輪へ向けた気運を盛り上げる狙いがあったが、正直に言って取材していて頭が混乱しそうだったし、ピンとこなかった。

それでは、20年東京五輪・パラリンピックが目指すものは、一体何か。東京にとどまらない日本全体の活性化、コンパクトで選手に負担の少ない会場計画、安心・安全・確実な大会、スポーツに親しむ環境の整備、日本の最先端技術の発信、東日本大震災の復興への寄与…。ぱっと思い浮かぶだけでいろいろと出てくる。ただ、これという決め手がない。即答できる人も、少ないのではないか。

50年前、五輪を開く意義は明確で、誰もが分かるものだった。五輪開催によって敗戦から立ち直った姿を世界に発信し、高度経済成長の一つの原動力ともなった。時代は変わり、当然のことながら20年は同じようにはいかない。価値観は多様化しており、震災からの復興をはじめ日本社会には解決すべき課題が山積している。日本国民の大多数が共感するような方向性を導き出すのは非常に難しいと思う。

今回のビジョンをつくるにあたり、大会組織委員会はスポーツ団体や有識者、アスリート、自治体などにとどまらず、ホームページ上では一般からも意見を募ったほか、全国の小中学校から作文も集めた。たくさんの意見から共通項を探し出してできあがったのが、冒頭のビジョンの骨子だ。組織委の担当者は「すべての意見を取り入れることはできないし、どうまとめるか非常に難しかった」と漏らした。その通りだろう。

そもそも20年大会は世論の盛り上がりを受けて招致したわけではなく、招致段階では開催支持率アップが大きな課題だった。開催が決まって徐々に気運が盛り上がりつつある一方で、メーンスタジアムとなる新国立競技場には依然根強い反対意見があり、震災復興を阻害するとの懸念もある。被災地からは厳しい意見もある。

思い出すのは、50年前の開会式で聖火をともし、9月に亡くなった坂井義則さんの言葉だ。昨年取材させていただいたとき、熱っぽく語っていたのが忘れられない。「今考えると感動で、感激で、すごく純粋で。理屈なんか抜きにね。今の日本はつかみどころがなくてよく分からん。だからそういう意味で東京五輪をもう一回やりたいって思うわけ。みんなで協力しよう、一致団結しよう、一つの目標に向かって。今、そういうムードがないでしょ、日本は。それをもう一回、若い子に経験させたらどうかなって思う」

成熟国家となった今、五輪は日本全体が何かに向かって突き進む数少ないチャンスであり、それを実現できる可能性があるのが五輪なのだろう。まだ私はロンドン、ソチと夏冬1度ずつの取材経験しかないが、五輪にしかないパワー、高揚感があることは感じた。東京が何を目指すべきか、これだと断言できるものはないし、答えがあるのかどうかも分からない。ただ、20年大会が終わった後、坂井さんのように開催意義を語り継げる人が1人でも多く出てくればと願っている。

菊浦 佑介(きくうら・ゆうすけ)1983年生まれ。鹿児島県出身。2006年共同通信社入社。福岡支社運動部、大阪支社社会部を経て10年5月から本社運動部で水泳、スピードスケートなどを担当。