優れた二つの才能があったとする。しかし、必ずしもそれがうまくかみ合うとはいえない。相性というのは男女間だけでなく、スポーツ選手の関係性でも見られる。逆に息の合うパートナーを得たときのプレーヤーは「1」と「1」の能力が相乗効果を生み「3」にさえなる。あらためてそれを人々に印象づけたのが、J1第25節の川崎フロンターレ対大宮アルディージャ戦だった。

昨シーズン、ヴィッセル神戸から川崎に新たな戦いの場を求めた大久保嘉人。この移籍が、これほどまでに成功することを予測した人はどれだけいただろうか。昨シーズンは33試合で26ゴールを挙げての得点王を獲得。今シーズンも15ゴールを挙げ、得点王争いの首位を走っている。

若くして才能を認められた。ただ期待を背負って2003年に初めて日本代表入りしたジーコ・ジャパンでは、能力をゴールに結びつけることができずに、長く苦しんだ。初ゴールはなんと、代表初招集から4年目のエジプト戦。得点を求められながらも結果の出せない選手に、W杯の場は与えられるはずもない。青いユニホームを着た大久保には、国見高校時代からセレッソ大阪に入団した当初の、迫力あるゴールゲッターとしてのイメージは見られなかった。

再起を期した2008―09シーズン。ドイツ、ブンデスリーガのヴォルフスブルクに移籍したものの、大久保は9試合で無得点。チームがリーガ優勝を飾るなかで一人蚊帳の外といった感じだった。

翌2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会ではメンバー入りを果たしたが、大久保の役割は変わっていた。岡田武史監督に与えられたポジションは左のサイドアタッカー。チームの戦い方が守備的なこともあったが、大久保に求められたのは攻撃ではなく、むしろ献身的な守備。ベスト16入りの立役者であったことは間違いないが、かつての破壊力を知る者にとっては物足りなさを感じさせるのも事実だった。

大久保にとっての思わぬ幸運は神戸で行き詰まりを感じ、川崎に新天地を求めたことだろう。そこには関係者ですら予想のつかなかった化学反応を起こす魔法の薬品、中村憲剛がいた。Jクラブで初めてチームを組んだのが大久保30歳、中村31歳。お互いにプロのフットボーラーとしての終盤に差し掛かりかけた時期だが、これほど見ていて楽しいあうんの呼吸を共有するコンビが生まれるとは思わなかった。

素晴らしいコンビネーションを見せる2選手。過去にACミランのインザーギとピルロや、Jリーグで言えば1995年に日本人初の得点王に輝いた福田正博とウーベ・バインのコンビがあった。これらの関係性のなかで常に伝わってくるのが「見ていなくても相手がなにをやるのかが分かる」(福田氏)という言葉だ。

大宮戦での中村と大久保の連係は、まさにそれだった。前半21分の川崎先制点の場面。レナトからの短いパスが入った瞬間、中村は大久保が相手のDFラインの裏に抜け出すと確信を持っていた。繰り出したのは中村自身が「嘉人の方がびっくりしていた」というラストパス。右足でワンタッチし、体勢を崩しながらも間髪を入れずに左足で繰り出した高速スルーパスだった。楽々と独走した大久保は難なく右足で決めた。あのタイミングでパスが出て、受け手が走り込むというのはある意味で芸術だろう。それほどに見事な先制点だった。

さらにコンビネーションの妙は続く。大久保が10年ぶりのハットトリックを達成した後半34分の3点目だ。

守備側が最も反応できないプレー。それが相手側のダイレクトプレーだ。右サイドの山本真希から横パスが入ると中村はダイレクトでDFラインの裏へ。大宮の金沢慎にマークされていた大久保だが、一瞬早い走り出しの加速が結果的に金沢を振り切ってゴール右から切れ込むスピードにつながった。出すと分かっているからこそ、走り出せる。ゴール自体は多分に大久保個人の持つ能力に依存したものだったが、それでも中村が持つタイミングでのパス出しがなかったら、大久保のJ1通算130点目は生まれなかっただろう。

中村と大久保。この蜜月関係を築き続ける絶妙のコンビというのは、これまでのJリーグの歴史でも特筆される存在だろう。確かに日本には、一発のパスで相手の息の根を止めるキラーパスの名手が数多くいた、もしくはいる。それが中田英寿であり、中村俊輔、小野伸二、遠藤保仁だろう。ただ彼らが大久保のようなパートナーを持っていたかというと、必ずしもそうとは言い切れない。数少ない例ではジュビロ磐田黄金期に見せた藤田俊哉、名波浩と中山雅史、高原直泰の関係か。

パサーは自分のパスをゴールに結び付けてくれる存在がいるからこそやりがいを感じるのではないだろうか。その意味で中村憲剛は幸せだ。大久保にパスだけでなく、違うプレゼントを贈る必要がありそうだ。こんな冗談が出てくるほど、この2人のコンビネーションは楽しいし、見る価値がある。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。