まさに「わが道を行く」である。2年目を迎えた日本ハムの大谷翔平が、プロ入り以来取り組んでいる「二刀流」挑戦は揺るぐどころか、投打にますますパワーアップして、二刀流は邪道だと言う周囲の声を封殺している。

それどころか、あの大リーグの伝説の名選手ベーブ・ルースの名前まで引っ張り出す活躍なのである。

9月7日のオリックス戦で今季10号本塁打した。すでに投手として今季10勝をマークしており、日本プロ野球80年の歴史で初めて1シーズンで2桁本塁打と2桁勝利を記録した選手となった。

知らなかったが、メジャーでも2桁同時達成はルースだけだという。

ヤンキースに移籍して打者に専念、本塁打王への道をばく進する前のレッドソックス時代の1918年に13勝、11本塁打の記録を残していた。

▽かつていた“鉄人"選手

プロ野球でも試合数の少なかった1949年までの1リーグ時代には景浦将(阪神)や野口二郎(阪急)に代表されるように投手と打者の両方で数字を残す二刀流は結構いたが、メジャー同様に時代とともに投手、打者に専門家していったのは、当然のことだった。

高校時代に「超高校投手」と言われた王貞治や柴田勲などはプロ入り後は投手としての限界を悟り、打者一本に絞り球史に名を残す選手は多くいた。

早い話が野球のうまい子どものほとんどはチームの投手兼4番。これはだいたい高校時代まで続くのである。レベルが上がっていくに従って自分の道を決めることになる。

だから、大谷がプロ入りに際して「二刀流」挑戦を宣言した時の反応は八割方は「どちらかに絞るべき」と反対する意見が、特にプロ経験者の評論家に多かった。

ちなみに投手のシーズン最多本塁打数は1950年に巨人の藤本英雄の7本で、藤本はこの年にプロ野球初の完全試合をやった。

400勝の金田正一は6本。通算本塁打では金田の38本が最多で、米田哲也33本、平松政次25本、堀内恒夫21本で星野仙一も15本を記録している。

▽綿密な計画で進む二刀流挑戦

大谷は193センチ、90キロの立派な体格である。しかし、そうは言っても高校を出たばかりの18歳で1年目は体もプロ仕様ではなかった。

投手として13試合に登板、61イニング3分の2を投げ3勝0敗、打者として77試合に出場、45安打(15二塁打、3本塁打)20打点、打率は2割3分8厘の成績だった。

ところが2年目は投手として22試合で148イニングを投げ11勝4敗(2完封)、打者として80試合で56安打(16二塁打、10本塁打)打率は2割8分3厘(いずれも9月15日現在)である。

日本ハムの栗山監督の考えもあり、今季は投手にやや重点を置いていて、登板した直後の試合は休ませたり、代打出場させたり決して無理をさせないようにしているから、安打数などは比較的低い数字である。

体力面、技術面などで4、5年にわたる計画を立てているとか。大谷自身の意思も固いものがあり、周囲にどう言われようとも二刀流に挑戦するスタイルを変えないのである。

「特別扱い」してチーム内で浮かないように監督は気を使っているだろうが、なにより大谷本人が結果を残す以外にない。

▽二刀流でメジャー挑戦も面白い

大谷は花巻東高から、直接メジャーを目指そうとしたぐらいだから、最終的な目標はメジャー行きだろう。何年先になるかは分からないが、そこまでに投手か打者か決まっているのだろうか。

二刀流での挑戦だって夢ではないし、あるいはメジャーのファンなら、そうしてチャレンジを歓迎するかもしれない。

「ベーブ・ルースの記録と並んだ男」として。プロ野球やメジャーをなめるな、とおしかりうけそうだが、なにか夢があって面白いと思う。

大谷はテニスの全米オープンで決勝に進んだ錦織圭やゴルフの松山英樹らの活躍をどんな思いで見ていただろう。他のスポーツでも多くの日本人選手が世界を相手に戦っている。大谷は目標をさらにはっきりさせていることだろう。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆