決勝トーナメント1回戦が始まって、いきなり大会の雰囲気が変わったような気がする。敗れた時点で即帰国。ノックアウト方式を踏まえて、各チームは1次リーグとはまったく違う次元にギアを切り替えた感じだ。

日本代表が戦った1次リーグは、残念ながらワールドカップ(W杯)ではあるが、W杯ではなかった。相手との力関係によっては、エネルギーの配分を考えることができたからだ。トーナメントでは、勝ち点の計算をすることもなく、ただ目の前の対戦相手を倒しにかかる。生き残るために技術的にも肉体的にも最高の資質を持つ選手たちが、神経を鋭利に研ぎ澄まし、持てる力のすべてを出し尽くす。サバイバルW杯が開幕した。

ここまでのベストゲームであろうブラジル対チリ。さらに最後まで結末の分からなかったオランダ対メキシコ。優勝候補ドイツを追い詰めたアルジェリア。呼吸するのさえためらわれる試合を目にすると、日本がこのステージで戦うのは「正直、無理だろう」というのが偽らざる思いだ。

1次リーグのオランダがスペインを5―1で粉砕した試合、ドイツがポルトガルに4―0の大差をつけた試合が好例だが、今大会はリードを奪っているチームが「このへんで止めておこう」という、サッカーにありがちな武士の情けが少ない。とことん相手をいたぶって、立ち直れなくさせる傾向が目立つ。

1次リーグ48試合で引き分けは8試合。0―0のスコアレスドローは、日本対ギリシャも含めわずか5試合。過去の大会に比べても、退屈な試合が少ない。

攻撃の手を緩めないサッカーで、多くの得点が生まれる。見る側にはこれほど楽しいものはない。サッカーの妙味は、やはりゴールだ。いくらパスを数多くつなぎ、ポゼッションが高くても、ゴールへの予感が乏しければつまらない。ためにためた感情の爆発を、唯一表現できるのはゴールの瞬間に限られるからだ。得点シーンがなければ、不満のガスをため込んだまま、うっ屈として眠りに就かなければならない。それが自国の試合であった場合は、フラストレーションはなおさら増すはずだ。

サッカーというゲームの真理を良く知る、ボール扱いに長けたフィジカルエリートが、強烈なプレスからボールを奪い取り、ショートカウンターでゴールを陥れる。今大会の戦術的傾向は、これが主流。一時代を築いたスペインや、日本が志向したポゼッションからのパスサッカーは、ブラジルの地では蚊帳の外だった。

ブラジルでさえ戦術的には、お世辞にも美しいとはいえない。当然、約束事は存在するのだが、基本となるのは1対1で体を張ってでも相手からボールを奪い取ること。そこからネイマールやオスカルなど、スペシャルな攻撃の才覚を持つ選手にボールを届ける。Jリーグではまったく守備をしなかったフッキが、ユニホームを泥だらけにしてボールに食らいつく様を見ていると、サッカーの本質は「戦う心」だということがよく分かる。

チーム戦術としては驚くものはないが、個人戦術としてはJリーグであまり目にしないシーンが数多い。それは1対1の駆け引きのときによく見られる。キーワードは、「股の下」だ。

サイドのスペースを効果的に突き、クロスを上げる。しかし、DFの足に引っ掛かってゴール前の味方にボールは届かない。日本ではよく見られるシーンだ。クロスを上げるとき「DFを抜き切ってから」と小さいころから指導される。正直な日本人はこの教えを守るのだが、守備のスペシャリストが間合いを詰めてきたときに、練習通りクロスを上げられる確立は低い。あの長友佑都でさえW杯では半分以上、相手DFに引っ掛かっていた。

W杯では、相手DFをかわさないでクロスを上げる選手が多い。DFの体の正面にボールを蹴るのだ。これは攻める側がDFの特性をよく理解しているからだろう。その意味で彼らは預言者だ。レベルの高いDFは相手のクロスの瞬間、反射的にタックルに入る。足を投げ出せば、一番ボールが通りやすい空間はどこか。それがDFの体正面の股の下ということになる。

FWがGKと1対1の状況になった場合でも応用される。GKは基本的にセーブの前段階で軽くジャンプして肩幅に両足を開き、左右どちらにでも反応できるように重心を均等にかける。その瞬間に股の下を通すシュートを放つことができれば、ゴールは確実に決まる。

なぜならGKのポジショニングというのは、ゴールライン際を突破してきた選手に対する場合を除けば、ゴールの中心とボールを結ぶ直線上に立っているからだ。股間を抜きさえすれば、ボールがゴール枠を外れることはない。逆に優れたGKほど、股間のコースを空けておき、素早く両足を閉じてブロックする技術が高いともいえるのだが。

以前ブラジルの常識は日本の非常識と書いたが、世界のサッカーの常識を日本人はまだ知らないともいえる。真剣勝負の側面から決勝トーナメントを捉えるだけでなく、局面で繰り広げられる計算された心理戦の技術や駆け引きに注目することで、W杯はもっと楽しめるのではないだろうか。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。