ワールドカップ(W杯)開幕を1カ月後に控えた12日、中国の広州。日本サッカー界が4年に1度の緊張感に包まれる、23人のW杯日本代表メンバー発表の日だった。13日にアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)広州恒大戦を控えたセレッソ大阪の選手は、中国国内ではインターネットサイトで動画や中継は閲覧が難しいため、スタッフが無料通信アプリLINE(ライン)のビデオ通話で撮影した日本のテレビ中継を宿舎で見たという。

この日ばかりは、選手もファンも状況は同じだ。通常の代表招集ならば事前に日本協会から所属クラブへ連絡が入るが、W杯メンバーは情報漏れを防ぐ意味もあり、監督の発表をもって初めて代表入りが知らされる。セレッソ大阪の柿谷曜一朗と山口蛍らが一緒に凝視した画面の向こうで、ザッケローニ監督が選手の名を読み上げていった。「…ハセベ、アオヤマ、ヤマグチ、オオクボ…、キヨタケ、カキタニ、…」。2人の名前は、確かに呼ばれた。山口は「選ばれるか微妙だと思っていたので、すごくうれしかった。今までで一番緊張したかもしれない」と白い歯を見せ、柿谷は「めっちゃうれしい。2人でガッツポーズしました」と喜んだ。これほどうれしそうな柿谷を見たのは、いつ以来だろうか。

今季の柿谷はJリーグで開幕10試合ゴールなしと苦しんだ。セレッソを率いた前任の名伯楽レビー・クルピ監督をして「(ブラジル代表の若きエース)ネイマールに近い」とまで言わしめた技巧的なトラップやシュートは鳴りをひそめ、思うようなプレーと結果を出せない試合が続いた。報道陣による日本代表関連の質問も重荷だったのだろう。メンバー発表が近づいても「次の試合に集中するだけ」と繰り返し、明らかにナーバスになっていた。晴れてメンバー入りを果たし「結果も出せないで『そんなんで…』っていう声も聞こえていたし、自分でもそう思っていたしね」と苦しかった胸の内を明かした。彼のテクニックは、クルピの言葉を借りるまでもなく世界トップクラスだ。メンバー選考の重圧から解き放たれ、幼少期から「天才」とたたえられた才能をブラジルで発揮してくれたら、と願う。個の力で世界を驚かす可能性も十分に秘めている。

その柿谷が自身の選出と同じくらい喜んだのが、敬愛する大久保嘉人の代表入りだ。「オオクボって名前がちゃんと聞こえへんかったけど、嘉人さんが呼ばれたことがうれしくて…」。この大久保が今回の「サプライズ」になった。ただ、経験や実績からすればサプライズと形容するのは失礼にも思える。昨季のJリーグ得点王は、今季も発表時点で日本人最多ゴールと、目に見える立派な数字を残してきた。彼の選出は、何よりJリーグにとって良かったのではないか。これでW杯に行けなければ、国内でどれだけ頑張っても報われないという、しらけた空気が流れかねないと危惧していた。

一時、ザッケローニ監督は欧州組偏重とも言われ、先発11人中、Jリーガーはたった1人という試合もあった。そんな傾向を反映するようにJリーグからは多くの若手が実績もないまま海を渡るケースが増えた。しかしである。今回のW杯メンバー、たしかに過半数の12人が欧州組だが、彼らは例外なく国内でプレーしていた時に日本代表に招集されている。つまり、選手として一定以上の実力と評価を高めてから海外に挑戦したのであって、やみくもに欧州へ向かったわけではない。そしてザッケローニ監督も当然ながら、欧州でプレーしているというだけで招集していたわけではない。それは今回の選考を見れば明らかだろう。

ガンバ大阪でプレーを続け日本歴代1位の国際Aマッチ141試合出場を誇る遠藤保仁は言う。「プレーしている場所は実際にはあまり関係ない。J2でもJ3でも能力があれば代表に入れる。もっと国内のサッカーが盛り上がらないと。いい外国人もどんどん日本に来て、見に行く人が増えて、対戦相手もトップレベルになれば、国外に行く機会があっても国内に残る選手が増えるかもしれない。Jリーグの選手がいいパフォーマンスを続けることは、代表にとっても大切だと思う」。

やはり日本代表の根本を支えるのはJリーグだ。願わくば「海外組」「国内組」という言葉の裏側に潜む「優」「劣」の気配が消え去り、そんな組み分けさえ無意味になる時代が訪れないものか。さらには、例えばフォルラン(ウルグアイ)のように強豪国のW杯メンバーにもJクラブ所属の選手が増えないものか。そうなれば日本は確実に今より強くなる。もちろん一朝一夕には無理だが、そんな期待を持つ身としてはマンチェスター・ユナイテッド、ACミラン、インテル・ミラノだけではなく、セレッソやフロンターレの存在感も世界へ向けて示してほしい。12日のように満面の笑みを浮かべた柿谷や大久保を、ぜひブラジルのピッチ上でも見てみたい。

山室 義高(やまむろ・よしたか)1975年生まれ。神奈川県横浜市出身。2000年共同通信入社。サッカーのワールドカップ(W杯)は02年から3大会連続で取材。2年間のプロ野球担当を経て、12年から大阪支社で主にサッカーを担当。