2月のソチ冬季五輪の熱気も冷めやらぬまま、6月にサッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が開幕し、世界中が熱狂する一大スポーツイベントがまた始まる。昨年まで私が担当していたプロ野球では、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)大会でイチロー(当時マリナーズ)が優勝を決める決勝タイムリーを放ち、他紙の担当記者と一緒に喜んだ記憶がある。サッカーや野球に限らず、スポーツ観戦好きの人なら選手が母国の威信をかけて戦う姿で強く印象に残っている場面の一つや二つは、すぐに思い出すことができるのではないか。

昨年末の担当変更で幼少の頃から親しんできたバスケットボールを取材するようになった。最近は女子の躍進が目立ち、昨年のアジア選手権では43年ぶり2度目の優勝を飾った。だが一方の男子はというと…。最後に出場した世界選手権の06年大会は開催国枠での参加で、五輪にいたっては1976年のモントリオール大会以降その舞台に立てていない。自らの記憶をたどってみても、最後に国際舞台で戦う男子代表に胸を躍らせることができたのは1990年代と随分以前のことになる。

当時世間では漫画「スラムダンク」が爆発的な人気を誇り、NBAブームと合わせて「バスケ人気」が高まった。この流れに後押しされたかのように、世界と堂々と戦ったのが95年ユニバーシアード福岡大会に出場した男子日本代表だった。長谷川誠や高橋マイケル、佐古賢一、南山真ら個性豊かな選手が中心となり、決勝まで勝ち進んだ。相手の米国代表は後に米バスケットボール、NBAを代表するスター選手となるアレン・アイバーソンやティム・ダンカンを擁した。結果は大敗だったが、日本が本場米国と戦うというだけで、気持ちが高まった。テレビ中継もなく、唯一見ることができたその試合のニュース映像は1分にも満たなかったと記憶しているが、食い入るように見入った。3年後の世界選手権出場も勝ち取った当時の主力選手たちは、一時代を築いたメンバーとして私の胸に刻まれている。

バスケットボールの現場取材は、06年の世界選手権以来となる。これまで野球やサッカーの日本代表の結果に一喜一憂してきた一方で、どこかで日本バスケット界のふがいなさに寂しさも味わってきた。だが昨年末に行われた全国高校選抜優勝大会で、1人の選手の動きに目を奪われた。その存在は周囲より頭一つ抜けており、さらには巧みなドリブルでゴール下に切れ込むテクニックも持っていた。明成(宮城)を当時1年生ながらエースとして優勝に導いた身長197センチの八村塁だった。父親がアフリカのベナン出身で、既にU―16(16歳以下)で代表デビューも果たしている逸材だ。後日、日本バスケットボール協会の深津会長は「彼はすごい。飄々(ひょうひょう)とした受け答えもいい」とインタビュアーとのやり取りも含めて絶賛していた。

長い低迷が続く男子だが、八村のように将来を有望視された選手も出てきた。私の中で過去のものとなっている熱い思いが、日本代表が強くなることでよみがえることを強く望んでいる。

鈴木 敦史(すずき・あつし)1980年生まれ。北海道出身。2005年共同通信入社。07年からプロ野球オリックス、広島を担当。11年から遊軍、横浜DeNA担当を経て13年12月からバスケットボール、陸上などを取材。