巨人と楽天の日本シリーズで両軍選手たちはユニホームに喪章をつけていた。10月28日に亡くなったプロ野球の大先輩、川上哲治さんをしのんでのものだった。

現役時代は「打撃の神様」と言われ、巨人の監督として11度のリーグ優勝そして11度の日本シリーズ制覇。中でも1965年からの9年連続日本一すなわち「V9」という今後も破られないであろう不滅の成績を残した名監督だった。

楽天・星野仙一監督が中日や阪神監督のときからつけ続ける背番号「77」は、川上さんの監督時代の背番号でもある。「勝負に徹した采配」に憧れる星野監督が尊敬してやまない人、それが川上さんである

▽「ボールが止まって見える」

「赤バットの川上」「青バットの大下(西鉄)」と戦後のプロ野球人気を二分していた川上一塁手は長嶋茂雄が登場するまでの大スター選手だった。

「ボールが止まって見える」との名言は有名で、打撃の奥義を極めるために努力を惜しまない選手だった。左打席から鋭いライナーが特徴で首位打者には5度なった。張本勲やイチローら安打製造機の大先輩格に当たる。

1979試合に出場して2351安打は歴代13位の安打数。12位・落合博満の2236試合2371安打、14位・山本浩二の2284試合2339安打と比較すれば面白い。生涯打率3割1分3厘は歴代5位である。

川上さんの現役時代は後年に映像でしか見たことがない。巨人を担当したことがなく川上監督との接点もなかったのだが、大阪勤務の駆け出しのころ甲子園球場の試合前ベンチで「突撃取材」をした。ただ、そのときの取材内容に記憶はなく、適当にはぐらかされたことだけは覚えている。V9最中の最盛期で、巨人担当記者でも試合前の川上さんに近づく者はいなかった。近寄りがたい存在だったのは間違いなかった。

▽抜群の監督術

巨人監督時代のV9を長嶋と王貞治、つまり「ON」がいたから達成できたという声もよく聞いた。2人の活躍あってこそだが、それだけでは達成できなかっただろう。両雄を並び立たせ、元祖・管理野球で徹底的に選手を管理した。「すべては勝つためだった」と後に語っている。

選手やコーチを「その気にさせる」監督術にも長けていた。「この選手を使ってくれ」と2軍監督から推薦された選手は、必ず一度は起用した。常に選手補強を怠らなかったのはもちろん、必要と思うコーチは外部からでも呼ぶ、生え抜きを重視する当時の巨人では考えにくい人事を球団に飲ましている。

その代表格が名参謀と言われた牧野茂氏で、中日から招き「ドジャー戦法」を導入した。大リーグ、ドジャースの理論的な野球で、投げて打つという選手に任せる大まかな野球が当たり前の時代では異彩を放った。

連続優勝が途絶えた1974年のシーズン限りで監督を辞めている。当然のように球団社長として球団に残るよう要請されたが、これも断った。その人心掌握術や管理術を見たかったファンは多かっただろう。私もそう思う一人だが、一球団のためではなく、もっと高い所からプロ野球界を動かしてもらいたかったという思いである。

▽プロ野球出身者の球界トップ

元阪急、近鉄監督の西本幸雄さんとは監督として好敵手だった。二人とも1920年生まれで、大正生まれの頑固者としても似ていた。

ちょうど30年ほど前の話になるが、パ・リーグの福島慎太郎会長が野球評論家になっていた西本さんに「将来の会長含みで会長補佐をやってくれないか」と持ちかけたことがあった。西本さんが断わり実現しなかったが、もしこれがきっかけでパに西本会長が誕生していれば、セ・リーグも高齢の鈴木竜二会長の後任に川上さんが候補に挙がるのは間違いなかったと、今でも信じている。

いまだに実現していないプロ野球トップの座に「プロ野球出身者」が就いた可能性があったのだ。歴史に「もし」はないが、残念でならない。最近のプロ野球界トップのふがいなさを見るにつけ、である。

川上さんはそんな役職は固辞するという見方もあったが、必ずしもそうではないと思う。それこそ30年ほど前、当時の下田武三コミッショナーはパが採用していた指名打者(DH)制の日本シリーズでの隔年採用をめぐって、セの大反対を押し切って導入に踏み切った。その際、野球評論家をしていた川上さんが「DH制は個人としては邪道だと思うが、一方のリーグが採用しているなら、公平性から言って隔年採用はやるべき」との意見を紙上などで語った。

また、1978年に国会法務委員会でドラフト制度が取り上げられたとき、日本ハムの三原脩球団社長の「賛成論」に対し、「ドラフト反対論」を参考人として述べていた。リーグや球団の垣根を越え、大局に立ったこうした是々非々の姿勢こそ、プロ野球界に求められているものだと思うし、川上さんは十分にトップを務めることができる見識を持った人だった。

そんなことを考えながら、ご冥福を心より祈った。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆