常勝軍団へと変貌を遂げつつあったチームにとっては寂しい1年となった。日本ハムは首位の楽天に18・5ゲーム差を付けられ、12年ぶりの最下位で早々とシーズンを終えた。リーグ優勝を果たしたチームが翌年に最下位に転落するのは、1981年の近鉄以来4度目と珍しい。6日に札幌ドームで行われた最終戦でも敗れた栗山監督は「期待に応えることができず、本当にすみませんでした。必ず来年、この悔しさを晴らします。何が何でも優勝します。一緒に喜び合いましょう」とファンに深々と頭を下げた。

「守りの野球」を掲げるチームが持ち味を発揮できなかった。失策数はリーグ最多の88を記録した。先発投手は木佐貫、ウルフの9勝が最多で、チームでは2001年以来の2桁投手不在となった。昨季の開幕投手を務めた斎藤は右肩痛に泣き、シーズン終了間際に登板するのがやっとだった。主力の田中が米大リーグに挑戦し、糸井がトレードで抜けた打線も厳しいやり繰りが続いた。勝負どころの9月を迎える前に、初の本塁打王に向けて快調に飛ばしていた4番打者の中田が骨折で離脱した。144試合のうち、打順の組み合わせは119通りに及んだこともメンバーを固定できなかった現実を物語っていた。

投打の「二刀流」で注目を集めた大谷は、投手で3勝、野手として打率2割3分8厘、3本塁打、20打点の成績で1年目を終えた。19歳のルーキーは「課題が多く見つかった1年。もっと成長していきたい」と悔しさをのぞかせた。異例の挑戦を「毎日、生き物をさばく感じ」と栗山監督は振り返った。体調管理に目を光らせ、故障だけは避けようと試行錯誤を続けた。指揮官は「二つやれる選手がいるのは証明できた。説得力を持たせるのはあいつ自身。(プロ野球に)一石を投じた」と頑張りを認めつつ、さらなる成長を促していくつもりだ。

ことしは北海道に本拠地を移してから10年目の節目でもあった。巨人ファンが多かったとされる北の大地も、いまや日本ハム一色。球団は「10th Seasonプロジェクト」と題して様々な取り組みを行った。北海道各179市町村の応援大使として選手を任命し、試合前にはスコアボードの映像に登場してPRに一役買った。また、札幌ドームで行われる試合には1試合ごとに集客目標数を設定した。最終的には185万5655人と、念願の200万人突破とはいかなかったが十分に根付いたと言える数字を残した。

残念ながら伴わなかったのはチームの成績。シーズン終盤に負けが込んでも、熱心なファンの応援はやまなかった。ふがいない戦いが続き「あんなに入ってもらって、何とかしなくてはいけない。誰もいなくなってもいいくらいだけどね。本当に感謝している」と栗山監督がしみじみ話したこともあった。これから上位球団の日本一に向けた戦いが本格化していく中で、ひっそりと秋季練習が行われている。長い準備期間をプラスに捉えて、来季への礎としたい。

松下裕一(まつした・ゆういち)2004年共同通信入社。05年からプロ野球を取材し、オリックス、阪神、ヤクルト、西武を担当。13年からは日本ハム担当。東京都出身。