プロ野球の加藤良三コミッショナーが19日に10月限りで辞任すると表明した。「統一球問題」が発覚して大騒ぎになった後も「私は飛ぶボールへの変更は知らされていなかった。辞めない」と言っていた加藤氏が突然、辞任を決意した。関心は後任人事に移っていて、早くも王貞治ソフトバンク球団会長の名前が取りざたされている。当コラムでも2年前に加藤氏の後任に王さんを、と書いたが、ビジネスに明るい人を補佐役との条件を付けた記憶がある。ただ、最近の世の中の傾向として多様な問題に同時に対処するには複数の専門家で当たることが求められているように思う。ビジネス、法令遵守等々である。コミッショナーを補佐する専務理事ではなく、複数合議制による「コミッショナー委員会」の復活はどうだろうか。

▽求められる決断と実行

優勝争いが佳境に入っているさなかの加藤氏の辞任の理由は想像できる。ボール問題を調査している第三者委員会から今月末にも報告書が提出されるが、その中でコミッショナーへの責任追及が盛り込まれていると言われており、大物外務官僚として人一倍プライドの高い加藤氏が、来年6月の3期6年の任期切れを待たず、先手を打ったという見方である。

駐米大使=大リーグ通のふれ込みで就任した加藤氏だが、さしたる実績もあげられなかった。国際野球に対応するために自らが先頭に立って導入した「統一球」でつまずくとは、なんとも皮肉な結果だった。東日本大震災時での開幕日問題、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督選任や不参加問題などの対応でもたつき選手やファンから失望され、またプロ野球選手会から退任を要求される前代未聞の出来事まで起こった。

2004年の球界再編問題で力を発揮できなかった前任者の根来泰周氏といい、巨人を中心としたセ・リーグ主導の最近のコミッショナー選びはことごとく期待外れに終わっている。2氏にはファンの視点が抜け落ち、球団やリーグの利益を優先させたかのような言動がしばしば見られたことから、コミッショナーとしての理念や見識に疑問符が付いた。要は決断と実行ができなかったのである。こうした人選に対する疑問がパ・リーグから出され、透明性を含めたコミッショナー選任のルール作りが云々される、かつてない事態となっているのだ。

▽コミッショナー制度

大リーグでコミッショナー制度が誕生したのは1919年の「ブラックソックス事件」がきっかけだった。ホワイトソックスとレッズのワールドシリーズを舞台とした八百長試合の事後処理に登場した最高裁判事だったランディス・コミッショナーがWソックスの8選手を永久追放処分とし、国民の信頼回復を図った。日本もそれにならって、戦後になってコミッショナーを誕生させた。利害が対立する球団間のもめごとの裁判官役であった。日本でも1969年に「黒い霧事件」と呼ばれた八百長試合があり、コミッショナー裁定で7人の選手、球団職員が永久追放となった。

コミッショナーの存在が広く伝わったのは78年の「江川問題」である。ドラフト会議前のいわゆる「空白の一日」を悪用して、巨人がクラウンライター・ライオンズ(現西武)の指名選手の江川卓投手と契約、発表した。セ・リーグは巨人の契約を却下したが、金子鋭コミッショナー(富士銀行相談役)が一転して「(新たにドラフトで阪神に指名された)江川投手は特例として巨人にトレードすべき。これ以外に終止符を打つ方法はない」という“伝家の宝刀"を抜くコミッショナー裁定を下し、江川問題は一気に社会問題化したのである。江川問題で失墜した信頼回復に登場した第7代の下田武三氏(元駐米大使、最高裁判事)は「公正・公平」に基づいたルール適用を決断、実行し、ボール・バット問題、球場規格の統一、応援倫理規則、DH制問題を解決した。

▽時代とともにある役割を

こうした歴史を見るにつけ、コミッショナーの役割について考えさせられるが、時代とともに歩くというか、時代の変化に対応できるコミッショナーが求められると思う。加藤氏は第12代コミッショナーだが、過去は法曹界出身が圧倒的に多い。プロ野球の草創期から選手の二重契約問題や八百長問題などが多発したためであるが、最近のプロ野球に求められるのは野球人気回復とそれに伴うビジネス化だろう。

パのオーナー連の求めるコミッショナー像は「ビジネスができる人」なのに対し、セは「野球協約などの遵守」に重きを置いている。経営的に安定している球団が多いセは、球団経営にまで介入してくるような「経営人」は困るのだろう。多様化した社会にあって、プロ野球も一人の判断に委ねる時代ではないかも知れない。それなら、指導力のある人をトップに据え、ビジネスに明るい人、法律専門家などからなる「コミッショナー委員会」で球界運営に当たるのも手だと思う。これぐらいでないと、海千山千の球団オーナーを相手に公平に「決断・実行」はできないのではなかろうか。先の「黒い霧事件」の時は宮沢俊義氏(東大法学部教授)をトップとした「コミッショナー委員会」を設けた例はある。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆