日本では「王の55」は特別な数字だった

ヤクルトのバレンティンが、15日の阪神戦で56、57号を連発して、王貞治(巨人)らが持つシーズン55本塁打を上回る、プロ野球新記録を樹立した。

この日の神宮球場は昼間の東京六大学野球が激しい雨で中止となり、台風18号の日本列島接近もありナイター開催は危ぶまれていた。3万319人のファンは幸運にも「歴史的な一瞬」を見られたわけだ。

というのも、日本球界にとって「55」はメジャーでの「60」と同様に特別な数字だった。記録は破られるためにあると言うが、1964年に作られた「王の55本塁打」記録は破られてはいけないものだった。

各スポーツマスコミが「聖域」と書いているように、王の本塁打記録は破ってはいけないものだった。しかし、時代が流れ、今では「かつては」という注釈を付けた方がいいだろう。

2001年に近鉄・ローズが、03年に西武・カブレラが55本塁打して並んだが抜けなかった。1985年は阪神・バースが打撃三冠王に輝いた年にすごい勢いで本塁打を量産したが、54本で終わっている。これら3外国人選手らは「55の聖域」を守ろうとする選手、ベンチ等の暗黙の了解でまともな勝負はしてもらえず、記録更新のチャンスさえもらえなかったのである。

日本人選手では南海・野村克也とロッテ・落合博満の52本があるが、もし、この2人がもっと「55」に近づいていたら、外国人選手ほどではないにしても、まともな勝負はしてもらえなかっただろうと思う。

しかし、王の55号から半世紀。時の流れが選手やファンの心理を変えただろうし、毎日のように放送される大リーグでは、例えば記録に挑むイチローに対しても堂々と勝負するのをファンは見せられている。

なにより、人気に陰りが見えるプロ野球にとって、ヒーローは必要なのだ。あからさまに敬遠でもしようものなら、今の時代ブーイングが起きるだろう。

自分の記録を抜かれたのだから寂しさはあるだろうが、王さんはバレンティンの新記録達成に「2試合に1本のペースはすごい。記録を超越したもの。どこまで伸びるかファンとともに楽しみたい」と話している。もちろん、王さんには通算868本塁打というとてつもない世界最多記録があるし、その名が不滅であることは変わりない。

同じように、米国でも「本塁打王といえばベーブ・ルース」の不滅神話が消えることはない。ただ、かつての日本と同じ、いや、それ以上にルースの60本塁打が破られたきはとんでもない騒ぎとなった。

ルースが60本塁打したのは1927年で、「野球の華」ホームランにファンが熱狂して野球人気はうなぎ上りだった。

それから34年後の61年、アスレチックスからヤンキースに移籍して2年目のロジャー・マリスが同僚のミッキー・マントルと争うように本塁打を量産。158試合目に60号、そして最終162試合目に61号を記録したのである。米国内は大騒ぎだった。

大リーグ5年目、打率は2割7分ほど、シーズン最多39本塁打の無名選手が伝説のルースを超えたのだ。当時のコミッショナーまでもが「ルースが60本を達成した154試合時点で比較すべき」との見解を出すに至った。「野球は言葉のスポーツ」(中公新書)にはこんなマリスの言葉が紹介されている。

「もし私が61本を打たなかったなら、自分にとって野球は、もっとずっと楽しいものだったろう」。マリスは通算275本塁打で通算12年の大リーグ生活を終え、静かに去った。

ご存じのように、メジャーではその後、01年にバリー・ボンズによって73本まで記録は更新されている。“薬物疑惑"もあるが、大リーグ記録は「73」である。

日本球界は「ボール問題」の決着がまだついていないが、ネット裏記者席のバレンティンへの評価は高く「飛ぶボールの影響はあまり受けていない」との見方が圧倒的である。ボールの反発係数が3年目に戻っただけで、それより2年連続本塁打王のバレンティンが日本野球に慣れ、打撃力がさらに向上したというものだ。

ただ、過去2シーズン、飛ばないというプレッシャーが打者に悪影響を及ぼしたのと同じように、今年は飛ぶぞという心理面でプラスに働いたのは否定できないだろう。もし70本塁打近くまで更新されたら、それでもファンは手放しで喜ぶだろうか。全体の本塁打数は昨年の1・5倍という。飛ぶように戻ったボールと本塁打量産の因果関係は解き明かされないだろうが、それであればなおさら、日本野球機構(NPB)の秘密裏に行った「ボール反発変更」は新記録に水を差しかねない。残念というほかはない。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆