東北楽天が首位(7月15日現在、以下数字も)に立っている。6月以降で首位に立つのは球団初。過去の最高順位だった野村克也監督時代の2009年の2位を上回る快進撃である。星野仙一監督の表情からはチームを掌握して戦っている様子が見てとれる。4月27日には楽天球団の通算500勝目。球団を持って9年目でやっと戦力が整い、戦える態勢ができた。

▽「マー君」は開幕12連勝

めったに笑顔を見せず選手を褒めない星野監督の厳しい顔はいつものことだが、それにも二通りある。本当に怒っているときと、逆に満足しているときである。楽天3年目の今季は後者のケースが多く、言ってみればチーム好調の証しでもある。チーム打率や本塁打数、防御率はいずれもずば抜けた数字ではないが、46勝34敗で“貯金"は12。総得点が総失点を32点上回っており、投打のバランスが取れているのだ。

なんと言っても、「マー君」ことエース田中将大投手の働きが大きい。春先の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では不調で心配されたが、開幕から負けなしの12勝と、まさにチームの大黒柱となっている。ドラフト2位の新人・則本昴大投手(三重中京大)が8勝6敗と即戦力の期待に応えている。攻撃陣では聖沢諒外野手を切り込み役に、ジョーンズ、マギーの元大リーガーが打線の軸となっている。マギーは打率2割8分9厘、18本塁打54打点。ジョーンズは2割2分5厘の低打率ながら17本塁打48打点と稼いでいる。

▽阪神時代の再現か

星野監督自身、5月6日のオリックス戦で監督通算勝利数が1067勝となり、監督として尊敬してやまない巨人のV9監督、川上哲治氏を抜いて歴代10位(最多は南海・鶴岡一人監督の1773勝)となった。「川上さんはO(王貞治)N(長嶋茂雄)を軸にしっかりとしたチームをつくった。私には真似できないが、いい手本」と目標にしている。2度監督をした中日の通算11年で2度の優勝、阪神で2年間監督を務め1度優勝している。2003年に阪神を優勝に導いたときは、その選手掌握術が注目された。“アニキ"と呼ばれていた金本知憲選手を中心に据えてチームをまとめた。楽天なら嶋基宏捕手になろうか。

08年の北京五輪で監督を務めたが、監督・コーチ陣が主役、選手たちがわき役となる雰囲気にチームは力を発揮することができずメダルに届かなかった。「選手に文句を言わせない」星野さい配の悪い面が出たケースだった。昔と違って、今の若い選手には時として「褒める」やり方も効果的だ。負けることが大嫌いな星野監督だが、今年は敗戦にも選手を責めないケースがまま見られる。「主役はお前たちだぞ」ということだろう。チーム力がついて勝ち負けに持ち込んだときの星野監督は選手をうまく乗せる。

▽新生球団の苦しみ

楽天は04年の「球界再編騒動」で生まれた球団である。既存球団を受け継いだケースとは違い、合併した後の近鉄とオリックスの選手らを中心に急造したチームだった。05年の初代監督は指導者経験なしの元中日の田尾安志氏だった。開幕2試合目に0―26の歴史的大敗を喫するなど、38勝97敗1分けの最下位に終わり、田尾氏は1年だけで解任された。

田尾氏は同じ高校野球部の私の後輩である。04年2月にキャンプ取材の際に高知の空港でばったり会った。まさか翌年に監督になるとは思わなかったが、中日―西武―阪神のユニホームを脱いで野球評論家になっていたので「今後はどうする」と聞いたら「コーチではなく即監督をやりたい」との返事が返ってきた。楽天では、心配した経験不足がもろに出る結果となったが、明らかに戦力不足の楽天を2、3年は任されると思っていただけに楽天球団の定見のなさに腹が立ったものだ。つい先日、同氏とは神宮球場で顔を合わしたが、ユニホームを着る機会がないのは残念である。

▽東北の輝ける星に

球団の苦戦は続く。田尾氏の後任の名将・野村克也監督が4年目にやっと2位になりながら契約切れを理由に退団。3人目のブラウン監督は6位でわずか1年。11年から就任した星野監督も5、4位と戦力づくりに苦労してきた。星野氏は阪神では球団フロントの相談役を経験しており、チーム強化には現場とフロントの連携が欠かせないのは知っている。やっと戦力が整った楽天が、大震災に見舞われた東北の輝ける星になれるかどうか。九州のソフトバンク、北海道の日本ハムに続く地方球団の活躍は、プロ野球にとっても大きな意味を持つ。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆