5月27日、英領マン島で行われていたツーリスト・トロフィー(TT)レースの予選で、日本人選手の松下ヨシナリが転倒、死亡した。レース専用サーキットで行われる一般的なロードレースと違い、マン島のレースは公道を封鎖して行われる。1907年から連綿と続く伝統のレースだが、一般道を舞台とするだけに危険な要素も多く、死亡事故が多いことでも知られている。

松下は2009年、2011年、2012年とこのレースに参戦した。「公道レースはモータースポーツというよりもむしろ、“オートバイを使った冒険"と言った方がふさわしい。そして、冒険である以上は生還しなければ意味がない」と公言していた43歳の松下は、今回の2013年でマン島への挑戦に区切りをつけたいと話していた。だが、その最後の「冒険」からはついに生還することがかなわなかった。選手活動に加え、ジャーナリストやイベント司会など幅広い分野で活躍していた松下の交流範囲は広く、モトGP第5戦が開催されたイタリアGPでも日本人選手たちが揃って哀悼の意を表した。

「子供時代にミニバイクで走っていた秋ケ瀬サーキットで、実況をされていたのが松下さんだった。雑誌の取材で、現場に行ってみたら松下さんがインタビュアーだったこともあった。昨年の鈴鹿8耐では自分も松下さんもそれぞれのチームから参戦し、その時に言葉を交わしたのが最後になってしまった」(青山博一)

「ミニバイク時代から今まで、ずっと応援をしてくれた。2011年の日本GPで転倒して肩胛骨を折った時も、最初に電話で連絡をくれたのが松下さんだった。最近でも、フェイスブックでいつもコメントやメッセージをくれていた。身近な人がまた一人いなくなってしまい、本当にショックが大きい」(中上貴晶)

「ライディングスクールの講師を手伝ってもらったし、マン島の完走記念パーティーにも呼んでもらった。松下さんはレースに限らず、バイクそのものの楽しさを世の中に広める力を持った、かけがえのない人。亡くなったことがいまだに信じられない。すごく悔しい」(高橋裕紀)

松下への追悼の意味をこめ、高橋はレザースーツの腕に喪章を巻いてレースウィークを走行した。また、中上は松下のステッカーを自分のマシンに貼ってレースに臨んだ。ひとまわり、あるいはふたまわりほども年の離れた選手たちからは兄のように慕われ、多くの業界関係者からも愛された松下の遺体は現地の書類手続き等が終了次第、帰国の途につく。後日、日本で葬儀が執り行われる予定だ。(モータージャーナリスト・西村章)