打者として出場してきた「二刀流」大谷翔平選手(日本ハム)が5月23日のヤクルトとの交流戦で投手デビューした。勝ち負けは付かなかったが、先発で5回を投げ2失点だから合格点をもらえ、いよいよ二刀流挑戦が本格化してくる。

野球評論家の多くが「投手か打者のどちらかに早く決めた方が本人のため」と言っているが、私は本人が納得するまでやり通す方がいいと思っている。高校から直接、米野球を目指していたぐらいだし1、2年の試行錯誤は覚悟の上だろう。それはさて置き、大谷投手はヤクルト戦で球速157キロの球を投げたそうだ。直球の6割以上が150キロを超えたというから、速球投手としての魅力は十分ある。

▽江夏、江川らは球の速さは

速く走ったり、遠くへ投げ、高く跳ぼうとするのは、いわばスポーツの原点みたいなもの。だから野球で言えば、速い球を投げ、遠くへ飛ばす選手に注目が集まるのは自然の成り行きであろう。そうしたファンの関心に応えて、いまやほとんどの球場に投手の球速が表示され、テレビでも見られる。ちょっと前までは、スカウトが投手発掘の手段として「スピードガン」を使って計測していただけだ。当然のように、かつて速球王と言われた投手たちのスピードのデータは存在しないが、「江夏や江川はどのぐらいのスピードボールを投げていたか」をあらゆる手段を使って科学的な検証が行われている。

▽伝説の沢村は159キロ

ある大学の研究によると、伝説の速球投手、巨人の沢村栄治氏は残る映像から分析した結果、159・4キロの直球を投げていたと推測された。400勝、4000奪三振の金田正一氏は154・3キロ、怪童と言われた東映の尾崎行雄氏は159・2キロ、そして江夏豊氏は158・8キロとなっていた。高めの球がめっぽう速かった阪急の山口高志氏、江川卓氏の栃木・作新学院高時代は「おそらく160キロは超えていた」と証言する関係者は多い。

▽江夏氏は「森安が一番速い」

長嶋茂雄氏と立教大で同期だった杉浦忠氏はサイドハンドからすごい球を投げ、左腕の梶本隆夫氏は切れのいい快速球だった。野茂英雄氏、伊良部秀輝氏、松坂大輔投手はいずれも155キロを優に超える速球を投げた。これは江夏氏から聞いたことだが、「一番速かった」投手として挙げたのが元東映の森安敏明氏だった。15年前に50歳の若さで亡くなったが、サイド気味からの荒れ球は打者にとっては恐怖だっただろう。

▽速球と奪三振

こうした速球王たちはファンの期待に応えて三振の山を築いて存在感を見せつけた。奪三振のシーズン記録10傑を見ると、1968年の401三振の江夏氏を筆頭にいずれも300三振を超えている。投げるイニングが多かった昔と今では単純に比較はできないが、今はトップが200奪三振前後で、2011年のダルビッシュ有投手は276奪三振と飛び抜けていた。

もちろん、速いだけでは三振が奪えないのは今も変わらない。例えば、巨人の沢村拓一投手は中央大時代に157キロを投げ話題となった速球投手だが、大学時代から思ったより奪三振は少なかったし、今や二桁奪三振は見られない。球の切れ・制球力、変化球との組み合わせ、球の出所が見にくい投げ方などもあるし、なによりピッチングの組み立てが重要となる。江夏氏に投球術を語らせたらすごい。この人の低めの速球は随一だと思っているが、それ以上に打者を抑え込む技を磨いていたことを、球界の後輩たちは知るべきだろう。

▽スピードを生かす工夫を

大谷投手の投手デビュー戦では、もちろん球速が注目されたが、奪三振がバレンティンからの2個だけだったとは驚いた。沢村投手にしろ、もっと速球を生かす投球を考えていかないと、一流速球投手の仲間入りはできない。

球速表示で言えば、今や新聞なりの野球面を開けば球速のことがやたら目に付くようになり、今やスピードコンテストをやっているかと思うほどなのだ。「野球は奪三振を競う競技ではない」と報道陣に皮肉を言ったダルビッシュ投手流に言えば、「いくら速い球を投げても1勝にはならない」のである。それでもスピードボールへのあこがれは消えないし、投手の大きな武器に変わりはない。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆