専門家の玄人連中を唸らせ、予備知識のない一般大衆も思わず引き込まれる。ボクシングの専門誌以外のメディアで、「女子ボクシング」に関してこの究極の快挙をやってのけた新聞記事があった。2012年7月25日の東京新聞朝刊のスポーツ面の連載企画「やっぱり女子でしょ」の田口透記者の筆による「拳に込めた闘争心」がそれだ。主人公は1970年代に、専門誌のみならずNHKに取材されたこともあるプロボクサー日本人女子第1号の高築正子さん。

日本初開催の世界バンタム級タイトルマッチをテレビ観戦して天啓を受けたのは12歳の時、以降、自身がリングに立ちたい願望を押し殺し、22歳から埼玉中央ジムでトレーナーの修行を始める。男子練習生相手のスパーを繰り返す日常、ところがこの頃、米国では女子ボクシング解禁の声が聞かれ始めていた。74年に米国では21歳の「レディ・タイガー」こと、マリアン・トリミアーさんが米国五輪委員会に女子ボクシング認可を直訴し話題を呼ぶ。同年4月18日、日本でも高築さんのジムが米国から女子プロボクサーを招聘し、後楽園ホールで日本初の女子プロ試合が行われる予定だった。しかし、当時の状況ではコミッションに認可されず、結局、練習生相手の公開スパー披露に落ち着くのだった。が、翌年10月にはネバダ州で、76年5月にはハワイでも女子の試合が開催された報を聞き、この年の8月、彼女は米国カリフォルニア州へと飛び、29歳にして念願のプロライセンスを取得する。

「拳に込めた闘争心」が報じたのは、高築さん自身が語る米国武者修行の回想と現役トレーナーとして栃木県小山市で約30人の練習生を抱えている現在だった。ボクシングのジャンヌ・ダルクは健在なり。遂に女子ボクシングが五輪の競技種目となった歴史的なロンドン五輪開催期間中、かつて世間の偏見と戦った高築さんの名前を目にする運命の巡りあわせに、玄人諸氏はアクション女優の牧れいを思わせるただならぬ彼女のあの眼力を思い出し、同記事で彼女を初めて知った人々は今日の日本女子ボクシング史以前の勇気ある先駆者の存在にただ驚かされたのでは。(草野克己)