「こどもの日」に行われた長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の国民栄誉賞受賞式から10日ほど経った。ミスタープロ野球と言われた長嶋氏については、その功績をたたえる大行事となっただけに、どうしても「祭りの後の寂しさ」を感じるファンは多いと思う。一方の松井氏は“日本球界復帰"への道筋をつけられたことで、今後は指導者つまり巨人監督へのロードマップに注目が集まることになった。

▽巨人以外のユニホームは考えにくい

松井氏は受賞式の前に行われた引退セレモニーで、2002年オフにメジャー行きを決めたときのことに触れ「もう二度とここに戻ることを許されないと思っていた。しかし、東京ドームのグラウンドに立たせてもらい、感激で胸がいっぱい」とあいさつしたし、その後の記者会見などで「プレーする姿はもう見せられないが、違った形でいいものを見せたい」と語った。普通に取れば、日本球界へ指導者として復帰すると宣言したようなものである。

そうなれば、巨人以外のユニホームは考えにくい。当然、巨人への愛着は強いし、本人もスムーズに入れるに違いない。いくら誘われても、ほかの球団へは行きにくいだろう。国民栄誉賞受賞を受諾した時点で「巨人復帰」は決まったようなものだと、私は思っている。

巨人の親会社、読売は「松井監督」を実現してさらなる人気策のてこ入れに乗り出す。観客動員数アップはもちろん、映像メディアでのコンテンツとして再び“巨人マネー"で球団を潤し、野球人気を取り戻す中心的存在として球界の盟主の力を見せつけようとするだろう。昨年、元エースの江川卓氏をヘッドコーチとして誘ったあたりに、その必死さが見て取れた。

▽スター選手に課せられる監督就任

日本球界では大リーグなどと違って、各球団のスター選手がほぼ間違いなく一度は監督になっている。指導者としての適性は二の次で、ファンの声や球団オーナーの希望などに応える格好である。

かつての西武で見聞きしたことだが、1985年オフに広岡達朗監督解任後の後任監督候補に田淵幸一氏の名前が挙がった。スター選手好きの堤義明オーナーの希望だった。球団フロントは参謀役に森祇昌氏を充てようと考えたが、その森氏は首を縦に振らず田淵監督を断念。一転、森氏を監督に据えたところ、日本一6度と、同11度の川上哲治氏の最多回数に次ぐ成績を残し、西武の黄金時代を築いた。田淵氏もダイエーで監督をやったが、さしたる成績を残せていない。こういう例は実に多いのだが、人間の能力が未知数なだけに、その判断にプロの目が要求されよう。

▽ONはどうだったか

監督をやる前に2軍でも1軍でも、やはりコーチ経験は必要だと思う。最近では、元中日の落合博満氏や日本ハムの栗山英樹監督はコーチ経験なしで監督として成績を挙げているが、例外と見た方がよさそうだ。巨人のスター選手の代表格は王貞治氏と長嶋氏だが、この二人の巨人監督就任は対照的だった。

長嶋氏は選手を引退して即監督に就任したが、いきなり球団史上初の最下位に転落した。その後2度のリーグ優勝をしたが、6年で監督を解任されている。その反省から王氏は3年間の助監督を経て監督になった。ただ、5年で1度のリーグ制覇にあえなく辞めさせられた。現在の原辰徳監督は評論家生活やコーチを経験している。

▽時に求められる非情さ

松井氏もコーチ経験を積んでからとなるだろう。しかし、要は指導者としての資質にかかっている。われわれとしては早く松井氏の打撃理論や指導者理念を知りたい。いわゆる野球に対する「マツイの考え」を発信して欲しい。

松井氏は自分の本音をあまり表に出すタイプではないから、何とも言えないのだが、心配なのはその温厚な性格である。時として、指導者に求められるのは厳しさや非情さである。性格に加えて、国民栄誉賞という賞が重荷にならないかという心配もある。

0Nの場合、二人は選手にとって雲の上の存在で、その分苦労した。王氏が当時のダイエーの選手に受け入れられたのは就任5年目で、この年に日本一になり、その後WBCの監督としても評価された。

▽監督とはクビになるもの

松井氏が正式な意思表明をしていないうちから、あれこれ言うのも変だが、大リーグで言い伝えられている言葉を紹介したい。「監督とは辞任するものではなく、クビになるもの」。日本にも当てはまる。70年以上の歴史を誇る日本プロ野球では、今まで大ざっぱに数えて、延べ300人を超す監督が誕生したが、なるほど、円満に辞任したケースは本当に少ない。厳しいものだが、松井氏も通らなくてはいけない道なのだろう。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆