本格的にスキーの取材を始めて5シーズン目が終わった。ノルディック・ジャンプ女子の高梨沙羅(グレースマウンテン・インターナショナル)が8勝してワールドカップ(W杯)個人総合優勝を果たした。幾度か勝利の瞬間に立ち会い、日本人として少し誇らしい気持ちを味わうことができた。しかし、最も印象に残ったのは、アルペン男子の湯浅直樹(スポーツアルペンク)がW杯回転で3位になり、初めて表彰台に立ったレースだった。少し大げさに聞こえるかもしれないが「人間ってこんなことができるのか」と思わせてくれるような試合だった。

昨年12月18日のマドンナディカンピリオ(イタリア)。ナイター照明が照らす、冷えて硬くしまった急斜面を1回目に滑り降りてきた湯浅はゴールエリアで倒れ、そのまま雪面に横たわった。ヘルニアによる腰痛だった。開幕直前に痛め、この日も直前の調整すら満足にできない状態だった。レース後に動けなくなった29歳のレーサーを日本チームのスタッフ2人が両脇から抱えてそばのテントに運んだ。応急処置を受けて再び歩き出すまでに数十分もかかった。ストックで体を支えながら引き上げる姿をみつめて、日本のライトナー・チーフコーチが険しい表情で首を振った。1回目は26位で、上位30人による2回目は5番目にスタートすることになったが、この日はもう日本のエースが滑ることはないと思った。

レース前にライトナー・チーフコーチは「湯浅は世界でもトップレベルだが、あんなにひどい腰痛を抱えていては戦えない。歩けないし、呼吸したり、笑ったりすることすらも大変そうだ。レースできることが信じられない。ライバルたちは健康で、狂ったように練習している。F1レースに3輪で挑むようなもの。万全の湯浅はフェラーリと同じくらい速いが、今はタイヤが3本しかない状態だ」と嘆いた。その言葉を裏付ける1回目終了後の様子を見て、深刻さがはっきりと理解できた。

だから約2時間半後の2回目のスタート地点に湯浅が立ったのを見て、心底驚いた。自分の目が信じられない気持ちでコースを見上げていると、1回目よりも切れ味鋭い滑りで降りてきた。頭から倒れ込むようにゴールラインを越え、そこで何かが切れたかのように転倒した。

回転の2回目は、1回目30位から順に滑って各選手が滑り終わった時点で2回合計トップの選手がリーダーボードの前に立ち、後続を待つ。首位に立った湯浅は自力で立てないため、特別に用意されたイスに腰掛けてレースを見守った。記録を上回れなかった何人もの有力選手たちが、痛みで震えながら座っているリーダーに腰をかがめて握手をして引き上げていった。2回目は結果的に優勝したマルセル・ヒルシャー(オーストリア)に次ぐ2番手のタイムだった。

日本のアルペン勢はやや勢いがない。成績を反映しているのか、取材に訪れた日本のペン記者は私だけだった。湯浅はレース後に「滑っている間は痛みを感じない。集中力が極限の状態なので。1回目も2回目も何も痛くなかった」と言った。当たり前のことを話すような口調だった。記者になってからいろいろな競技を取材したが、痛み止めも効かず、まともに動けなくなるほどの激痛を精神力で抑え込んで試合に臨む選手を初めて見た。人間が持つ力の奥深さまで感じさせられた。

伊藤 慎吾(いとう・しんご)1973年生まれ。福岡県北九州市出身。1998年共同通信入社。サッカーの02、06年ワールドカップ(W杯)やアテネ、ロンドン、バンクーバーの夏、冬五輪などを取材。現在ロンドン支局で幅広くスポーツをカバー