何気ない雑談の中に、世界の頂点を極めた指揮官の指導理念がにじみ出た場面があった。穏やかな日の照った2月上旬の大分合宿最終日。サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の佐々木則夫監督はいつにも増して上機嫌で、報道陣からの質問がほぼ出尽くした後、話は意外な方向に。白髪交じりのあごひげをさすり「これをはやしている理由、教えようか?」とニヤリと笑って切り出した。

「一つ目は前髪が薄くなってきたから、視線を下の方にそらすため。二つ目は海外に行ったときになめられないように」。ここまでは得意の受け狙いだ。「そして三つ目はね…」。そう言うと、いたずらっ子のようだった表情が急に真剣なものに変わった。

「僕がコーチだったころ、ある日の練習で目の前で選手がけがをしたことがあった。何でけがをしてしまったんだろうといろいろ考えて、アッと思い当たった。ひげをそっちゃったからだと」。それ以来、あごひげは「選手の安全祈願」になったという。言うまでもなく、これが本当の理由だろう。

佐々木監督は「コミュニケーション型」の指揮官としてのイメージが定着している。記者会見で繰り出す親父ギャグは有名だし、練習風景を見れば娘のような年頃の選手たちとも上手に意見を通わせる。人を引きつける独特のしゃべり方や表情が肝心なのかと思っていたが、このひげの話を聞いて考えを改めた。言動の根底に選手への深い思いやりがあるからこそ、個性豊かなチームを束ねることができるのだと。

日本のスポーツ界が体罰問題に揺れている今、選手との信頼関係の構築に頭を悩ませる指導者も多いのではないかと思う。私も中学時代、残念ながら元ラガーマンの体育教師が生徒に手を上げたところを見たことがあるし、一部で「分からなければ体で教える」という悪しき慣習が根付いてしまっていることは確かだろう。そういった古い体質を打破するためのヒントを、佐々木監督は別の機会に語っている。選手に接する際、人間の本能である「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」という三つの欲求を意識することが重要だというのだ。これはつまり「脳」に訴えかける指導法。動物の調教のような「体」で分からせる指導とは対照的といえる。

なでしこジャパンのロンドン五輪後の再出発となったアルガルベ・カップは、1次リーグでノルウェー、ドイツに連敗するなど5位に終わった。それでも、7人を代表デビューさせた佐々木監督の表情は明るく「経験のなかった選手に世界を感じさせられた。勝ちにこだわって戦ったが、負けたことが逆に糧になった」と収穫を強調した。2連覇を目指す2015年の女子W杯カナダ大会、そして初の金メダルを狙う16年のリオデジャネイロ五輪に向けてどんなチームをつくり上げるのか。まだ恵まれているとは言えない女子サッカー界を取り巻く環境にも目を向けながら、しっかり追っていきたい。

石井大輔(いしい・だいすけ)1983年生まれ。東京都出身。06年共同通信社入社。運動記者として名古屋支社、仙台支社(プロ野球楽天担当)を経て11年12月から本社でサッカーなどを担当。慶大時代はボート部に所属した。