冬の花園ラグビー場で、心温まる光景を目にした。昨年12月23日に行われた全国大学ラグビー選手権の2次リーグ、大体大―早大。大体大の坂田好弘監督にとっては36年間の指導者生活を締めくくる試合だった。

試合後、グラウンドで大体大の選手たちから花束を贈られた。ここまではよくあることだと思う。驚かされたのはその後だった。早大からも花束が出てきた。そして、両チームの選手たちとゴールポスト辺りで記念写真に収まった。こうしたセレモニーでは対戦相手は拍手して見守るくらいが通常の対応ではないだろうか。坂田監督もこの計らいに驚いたようで、「うちの選手が密かに何かしようというのは感じていたけど」と目を丸くした。

大体大側が早大に拍手だけでもしてくれないかという話を持ち掛けていたところ、早大側も「花束を渡していいか」という話になった。昨年9月に古稀を迎えた坂田監督は「70のおっちゃんと、20代の選手。孫みたいな選手だけど、本当に感動した。長くやって良かった」と感激もひとしおの様子。心からの笑顔が強く印象に残った。

早大は縁のある相手で、同志社大を経て近鉄の選手として活躍した現役最後の試合は日本選手権の早大戦だった。そしてこの日の会場、花園は慣れ親しんだ近鉄の本拠地。「近鉄で育ててもらったグラウンド、花園で早稲田とやれて不思議な感じ」。節目での顔合わせといい舞台はきっちりと整っていた。

坂田監督は日本ラグビー界の伝説的な存在だった。WTBだった現役時代、1968年に日本代表のニュージーランド遠征に参加。オールブラックス・ジュニア(当時の23歳以下ニュージーランド代表)戦で4トライを挙げ、歴史的勝利に貢献した。現地で「空飛ぶウイング」と称され、昨年、日本人で初めて国際ラグビーボード(IRB)のラグビー殿堂入りを果たした。1960年代の世界で最も優れた選手の1人と高く評価されての快挙だった。

ラグビーでは、高校時代に華々しく活躍した選手は大半が関東の大学に進学する。大体大に入ってくるのは全国的な実績のない選手が多い。そのような環境でFWを鍛え上げ、「ヘラクレス軍団」と呼ばれるチームに育てた手腕が光る。ラストマッチの早大戦ではタレント集団に力の差を見せられて敗れたが、後半に自慢のFWがゴール前で連続攻撃を展開。最後はラックを乗り越えてインゴールにボールをたたきつけ意地のトライを奪った。

「トライを一つ取ってくれたのは非常にうれしかった。最後はFWがいってくれたし、諦めなかった」と穏やかな表情で選手をたたえると、蔵守吉彦主将も「監督のために全てを出し切った上での完敗。悔いはない」と晴れやかに答えた。

ラグビー人生の第3章として、今後は関西ラグビー協会会長という要職に励む。競技普及に向け、課題に挙げるのは専用グラウンドの充実。激しい接触が特徴のスポーツだけに、土のグラウンドではけがが絶えない。「人工芝でやったら、子どもも走り回る。日本にはルールだけ入ってきて、環境がついてきていない」と訴えた。関西協会の予算ではグラウンド造成までは手が回らないため、知名度を生かして自治体に働き掛けていくことになりそうだ。現場を離れた後も、その活躍から目を離せない。

長井 行幸(ながい・みゆき)1984年千葉生まれ。2007年、共同通信に入社し大阪支社勤務。阪神を経て高校野球、ラグビーを担当。