「いいって、いいって」-そう言って、いつだってこの人は他人を気遣って世話を焼き、同時に江戸っ子特有の照れからか、そうした気遣いが相手の重荷にならないよう、こう付け加えた-「気にするなよ」と。昨年11月に肺炎で亡くなられた極東ジム名誉会長の三平勇氏の口癖だ。

享年77歳。その三平氏の数ある人生のハイライトとして挙げられるのは、偉大なる具志堅用高(協栄)が世界ライトフライ級王座から陥落した夜、1981年3月の沖縄にて、メキシコ人挑戦者ペドロ・フローレス陣営の一員として対角線上の挑戦者コーナーから具志堅が敗れる姿を見届けた唯一人の日本人であった事実だ。昭和30年代のテレビボクシング全盛期に来日し、神技的なカウンターで「ロープ際の魔術師」と呼ばれて人気を博したジョー・メデル(メキシコ)に心酔して以来、三平氏のメキシコ式ボクシングへの想いは、スペイン語の独習に始まり、来日したメキシコ勢の身の回りの世話を焼くに至るまで、信仰と呼んで差し支えないほどの傾倒ぶりを示した。当然、来日したメキシコ人ボクサーたちが帰国すると、東京で出会ったこの酔狂な日本人を懐かしみ、いつしか、在東京のこのメキシカンスタイルの求道者の名前は、彼らの地で特別なものとなっていった。

具志堅の最後の防衛戦に際し、当時メキシコ渡航経験が無かった三平氏が挑戦者フローレスのセコンドに名を連ねるに至ったこれが理由だ。とここまでは、三平氏に関するお決まりのエピソード。そして今日、ごく最近の新たな発見によって、三平氏は再評価されようとしている。それは、三平氏とは都立文京高校の同級生でもある静恵夫人により、お通夜の席上でその一部が初めて公開された、20歳代の頃の同氏が悪友たちと精一杯の格好をつけて撮りためたセピア色の写真の数々、その裏面に書き綴られた瑞々しい散文によってだ。

その結びの句として、宮沢賢治の遺作「雨ニモマケズ」から表現を戴き、「あらゆる事を 自分を勘定に入れずいつも笑っている事」と自らの自戒の言葉とした若き日の三平氏。彼の豪気な「いいって、いいって」にはかくも崇高な理念があり、その信条は生涯にわたって揺らぐことがなかったわけで、歴史にその名を刻んだメキシコ式云々よりもこれはもっと凄いことかもしれないのだから。(草野克己)