今季12年ぶりにプロ野球の現場に復帰し、古巣中日のユニホームを着た権藤博投手コーチ(73)がわずか1シーズンでチームを去った。主力の移籍や故障で投手陣は苦しいやり繰りを強いられた。それでも山内壮馬投手ら若手を信頼して起用し続け、山井大介投手を抑えに回すなど権藤コーチは見事な手腕を発揮した。シーズンでは巨人に大差をつけられたが、クライマックスシリーズ(CS)ではその宿敵をあと一歩のところまで追い詰め、“投手王国中日"の面目を保った。

退団について、球団側は将来を見据えたコーチ陣の若返りを理由に挙げた。しかしそれだけではない。投手出身の同コーチと野手出身の高木守道監督(71)。2人は投手起用をめぐって度々意見が対立した。ベンチで公然と言い合う姿がテレビ画面に映され、試合中に怒った高木監督が権藤コーチの問い掛けに答えないこともあったという。両者とも報道陣の前で批判めいたコメントや愚痴をこぼすこともあり、時には「70歳代バトル」などとマスコミにおもしろおかしく取り上げられた。当初は権藤コーチの続投が既定路線だったが、球団は急きょ方針を変えた。事実上の解任と言ってもいいだろう。

権藤コーチは登板過多を避けるために中継ぎ投手にローテーションを導入し、シーズンだけでなく将来も見据えて選手を起用した。高木監督は短気な性格で、試合の場面ごとに最適の投手を送り込むという考え方。意見が食い違うのも当然といえる。持論をはっきり主張する性格もあり、近鉄のコーチ時代も仰木彬監督と対立したそうだ。「監督に権限があるのは当たり前。投手コーチとしてこうあるべきだということをやっただけ」と話したように、誰に対しても信念を曲げなかった。

権藤氏は現役時代、1961年に69試合に登板して35勝を挙げ、翌年も61試合で30勝と驚異的な記録を残した。連投する姿は「権藤、権藤、雨、権藤」という流行語を生んだ。当時を知らない人でもこのフレーズを聞いたことがある人は多いだろう。だが体を酷使した代償は大きく、その後内野手に転向して実働8年の短い現役生活を終えた。この苦い経験が選手を大事にする考え方につながった。

コーチ時代の75年には米大リーグのワールドシリーズを観戦し、若手が集まるルーキーリーグを視察したという。その経験が「こっちからやらせてもだめ。気持ちよくやらせる」と選手の自主性を重視するきっかけとなり、選手の長所を伸ばすやり方と合わせて今の指導方針の礎となった。打者がアウトになって走者を進める送りバントを嫌い、データを客観的に分析して選手の評価や戦略を考える手法として知られるセイバーメトリクスを好むなど、昔ながらの固定観念にとらわれず、多種多様な考え方を取り入れる柔軟さがあった。

98年には横浜(現DeNA)を率いて日本一に輝いた。177センチのスラッとした長身にピンと伸びた背筋、そして軽快な足取りはとても73歳には見えず、30代前半で体力の衰えを感じる筆者は情けない思いをした。歴史や昔の人が軽んじられやすい昨今、豊富な経験に裏打ちされた知識を後世に伝えるためにも、またユニホームを着てグラウンドに帰ってくることを願ってやまない。

上地安理(うえち・あんり)1980年東京都生まれ。他業種を経て2006年に共同通信入社。アマチュア野球、プロ野球などを担当し、現在は名古屋支社運動部で遊軍。