1980年代、3階級を制覇し、中量級を華麗に彩ったヘクター“マチョ"カマチョが11月24日、亡くなった。享年50歳。同月20日、サンファン市内で車に乗っているところを銃撃され、意識不明の重体に陥っていた。24日、生命維持装置が外され、帰らぬ人となったが、早すぎる最期に寂しさは隠せない。また一人、名ボクサーを失った。

カマチョは62年5月24日、プエルトリコのバヤモンに生まれた。3歳のときニューヨークに移り住み、幼いころからワルで知られた。やがてトレーナーのビル・ジャイルスと出会い、本格的にボクシングを始めた。アマチュア時代に数々のタイトルに輝き、将来を嘱望され、80年9月、プロデビュー(判定勝ち)を飾った。当時からスピードが群を抜いていた。軽いフットワークを駆使し、ジャブから連打を見舞う。鮮やかなコンビネーションはファンを魅了し、スター街道を突っ走った。

入場から試合が始まるまでの「マチョタイム」も人気を集めた。陽気な人柄で、何かを叫びながらリングイン。にぎやかなパフォーマンスは、カマチョの売り物の一つだった。実力の方も文句なし。83年8月、ラファエル・リモンと世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフェザー級王座を争い、5回TKO勝ちで頂点に立った。このとき21歳。あふれる才能は周囲を驚かせ、スピードスターの名がよく似合った。

この王座を1度防衛の後に返上。85年8月、今度はWBCライト級王者ホセ・ルイス・ラミレスに挑戦、判定勝ちで2階級を制覇した。その後、エドウィン・ロサリオ、コーネリアス・ボサ・エドワーズらの強豪を相手に防衛を重ねた。さすがに相手が手強く、簡単にKOはできなかったが、スピードは健在。パンチをかわすテクニックも秀逸で、中量級の話題を独り占めにした感さえあった。さらに89年3月、レイ・マンシーニと世界ボクシング機構(WBO)スーパーライト級王座を争い、判定で3階級制覇を達成した。

90年代は歴史的なスーパースターと積極的にグローブを交えた。フリオ・セサール・チャベス、ロベルト・デュラン、オスカー・デラホーヤ…。その中、97年3月、シュガー・レイ・レナードと対戦、5回TKO勝ちを収め、存在感を示した。敗れたレナードが引退を決意した意味でも忘れられない試合となった。戦績は79勝(38KO)6敗3分け。サウスポーのテクニシャンとしてリング史に名前を刻んでいる。(津江章二)